大安寺除夜の竹明り2025/1/1(日程時間・・・)

大安寺除夜の竹明り

大安寺除夜の竹明り(日程・・・)を紹介しています。除夜の竹明りは例年1月1日に行われています。除夜の鐘とともに本堂で除災招福を祈願する大般若会(だいはんにゃえ・修正会)が行われ、松三宝昆布挟みの儀が行われます。除夜の竹明りでは護摩堂で越年の護摩が焚かれ、境内に人間の煩悩の数と同じ108本の竹明かりが灯されます。(詳細下記参照)

【大安寺除夜の竹明り2025 日程時間(要確認)】
大安寺除夜の竹明り2025は2025年(令和7年)1月1日(水曜日)0:00から行われます。修正会は1月1日~3日です。(現在確認中・要注意)
*参考・・・大安寺ホームページ

【大安寺除夜の竹明り アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市大安寺2-18-1
最寄り駅・バス停・・・大安寺(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から大安寺行き・シャープ前行き・白土町行き
路線・時刻表・運賃チェック

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【大安寺除夜の竹明り 歴史・簡単概要】
大安寺除夜の竹明り(じょやのたけあかり)では1月1日に行われています。除夜の鐘とともに本堂で除災招福を祈願する大般若会(だいはんにゃえ・修正会(しゅしょうえ))が行われ、松三宝昆布挟みの儀が行われます。ちなみに正月三が日は大般若会が終日続けられるそうです。除夜の竹明りでは護摩堂で越年の護摩が焚かれ、境内に人間の煩悩の数と同じ108本の竹明かりが灯されます。除夜の竹明りでは赤米と丸く形の昆布が入った御供が授与されるそうです。(要確認)なお大安寺では第42代・文武天皇の時代である703年(大宝3年)に薬師寺(やくしじ)・元興寺(がんごうじ)・興福寺(こうふくじ)とともに大般若会が行われたことが「続日本紀(しょくにほんぎ)」に記されているそうです。大安寺では天平年間に旱魃が続き、737年(天平9年)に悪疫が流行したことから道慈律師が「願わくば、護寺鎮国、聖朝を平安ならしめる為に大般若会を修し、毎年の恒例とすることを許されたい」と請うたことから毎年大般若会が行われるようになったそうです。
大般若経(大般若波羅蜜多経・だいはんにゃはらみったきょう)は630年頃に三蔵法師玄奘(さんぞうほうしげんじょう)がインドから中国に持ち帰り、663年に漢訳して作り上げた経典です。ただ大般若経のサンスクリット本は発見されていないそうです。大般若経は全16部(会)・600巻・字数500万字にも及びます。大般若経は最高の真理である般若(はんにゃ)から見ると全てのものは実体がない空(くう)だと説いているそうです。(諸法皆空の理)なお大般若経には魔をも折伏させる功力があるとも言われています。

【大安寺 歴史・簡単概要】
大安寺(だいあんじ)は第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)がお釈迦様の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に倣って、平群郡額田部(へぐりぐんぬかたべ)に熊凝道場(くまごりしょうじゃ)を創建したのが起源と言われています。熊凝道場跡には現在額安寺(かくあんじ)が創建されています。その後官寺になったが、百済大寺(くだらおおでら)・高市大寺(たけちだいじ)・大官大寺(だいかんだいじ)と名称や場所を変え、平城京に移って大安寺になりました。大安寺には東西に2基の七重塔が建立され、東大寺(とうだいじ)・興福寺(こうふくじ)・法隆寺(ほうりゅうじ)・元興寺(がんごうじ)・薬師寺(やくしじ)・西大寺(さいだいじ)とともに南都七大寺に数えられ、南大寺とも言われましたそうです。その後829年(天長6年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が別当に就いたり、859年(貞観元年)に八幡神を勧請したりしたが、その後徐々に衰退し、1017年(寛仁元年)の火災によって伽藍の多くが焼失しました。なお近世には小堂ひとつだったと言われているが、近世以降に現在の本堂などが再建されました。
大安寺は高野山真言宗の寺院です。
*参考・・・大安寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【大安寺除夜の竹明り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大安寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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