元興寺肘塚不動尊供養2025年7月28日(日程時間・・・)
元興寺肘塚不動尊供養(日程時間・アクセス・概要・・・)
元興寺肘塚不動尊供養(日程・・・)を紹介しています。肘塚不動尊供養は例年7月28日に行われています。肘塚不動尊供養ではかつて奈良町の南にある肘塚町(かいのづかちょう)に安置されていた室町時代や江戸時代に造仏された32躰の石仏を供養します。なお肘塚不動尊供養では僧侶による読経が行われ、その後焼香が行われます。(詳細下記参照)
【元興寺肘塚不動尊供養2025 日程時間(要確認)】
元興寺肘塚不動尊供養2025は2025年(令和7年)7月28日(月曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・奈良世界遺産・元興寺ホームページ
【元興寺肘塚不動尊供養 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市中院町11
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
*JR奈良線・奈良駅(徒歩約20分)
*JR奈良線・奈良駅からバスの場合、田中町(徒歩約5分)
*近鉄奈良線・奈良駅からバスの場合、福智院町(徒歩約5分)
路線・時刻表・運賃チェック
【元興寺肘塚不動尊供養 歴史・簡単概要】
元興寺肘塚不動尊供養(かいのづかふどうそんくよう)では7月28日の不動明王の縁日にかつて奈良町の南にある肘塚町(かいのづかちょう)に安置されていた室町時代や江戸時代に造仏された32躰の石仏を供養します。肘塚不動尊供養では先ず僧侶による読経が行われ、その後焼香が行われます。
石仏はかつて肘塚町周辺に祀られていたが、1936年(昭和11年)に石造不動明王像を本尊とする肘塚不動堂が建立されると集められて安置されました。その後肘塚不動堂が建立されていたテイチクが肘塚町から撤退すると石仏は2002年(平成14年)に元興寺の境内に移されました。なお石仏には1615年(元和元年)の銘がある不動明王像・室町時代後期の銘がある阿弥陀如来像・1827年(文政10年)の銘のある弘法大師・空海像などがあります。
不動明王は大日如来(だいにちにょらい)の化身とも言われています。大日如来が衆生を教化する際、通常の姿では教化できないので、忿怒相(ふんぬそう)をもって現れたとされています。不動明王は背に火炎を背負い、右手に悪を断ち切る剣、左手に救済の索を持ち、全ての悪と煩悩を抑え、全ての生あるものを救うと言われています。不動明王は五大明王(降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)のひとつです。
●元興寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
元興寺歴史
●元興寺の見どころ(本堂・禅室など)を紹介しています。
元興寺見どころ
【元興寺 歴史・簡単概要】
元興寺(がんごうじ)は588年(崇峻天皇元年)蘇我馬子(そがのうまこ)が甥で、第32代・崇峻天皇が即位した際、法興寺(ほうこうじ)を創建したのが起源と言われています。ちなみに法興寺は地名から飛鳥寺とも言われたそうです。710年(和銅3年)の平城京遷都後の718年(養老2年)に平城京に移され、名称も法興寺(飛鳥寺)から元興寺に改められました。元興寺の名称は「仏法元興之場、聖教最初の地」の言葉に由来するそうです。その後平安時代末期からの末法思想の流行や阿弥陀信仰の隆盛により、曼荼羅(まんだら)を祀る堂は極楽坊とも言われ、発展しました。1451年(宝徳3年)の土一揆によって炎上し、曼荼羅を祀る極楽院・五重塔を中心とした元興寺観音堂・小塔院の3つに分裂しました。極楽院は1955年(昭和30年)に元興寺極楽坊、1977年(昭和52年)には元興寺に名称を改めました。なお元興寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
元興寺は真言律宗の寺院です。
*参考・・・奈良世界遺産・元興寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【元興寺肘塚不動尊供養 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・元興寺(アクセス・見どころ・・・)情報