西大寺光明真言土砂加持大法会2024年10月3日~5日(日程時間)

西大寺光明真言土砂加持大法会

西大寺光明真言土砂加持大法会(日程・・・)を紹介しています。光明真言土砂加持大法会は例年10月3日から5日に行われています。光明真言土砂加持大法会では本尊・釈迦如来(重要文化財)の前に奥の院から採取した土砂を安置し、3日3晩不断で光明真言で加持し、鎌倉時代から現代まで縁のある人を記した過去帳を読み上げます。(詳細下記参照)

【西大寺光明真言土砂加持大法会2024 日程時間(要確認)】
西大寺光明真言土砂加持大法会2024は2024年(令和6年)10月3日(木曜日)~5日(土曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・西大寺ホームページ

【西大寺光明真言土砂加持大法会 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
最寄り駅・バス停・・・大和西大寺駅(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
路線・時刻表・運賃チェック

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【光明真言土砂加持大法会 歴史・簡単概要】
西大寺光明真言土砂加持大法会(こうみょうしんごんどしゃかじだいほうえ)では1264年(文永元年)に興正菩薩叡尊上人(こうしょうぼさつえいそんしょうにん)が一門結束と民衆廻向を目的に始めたと言われています。叡尊上人は真言密教が信仰の根本と考え、光明真言を深く信仰したそうです。
光明真言土砂加持大法会では本尊・釈迦如来(重要文化財)の前に奥の院から採取した土砂を安置し、3日3晩不断で光明真言で加持し、鎌倉時代から現代まで縁のある人を記した過去帳を読み上げます。ちなみに加持された土砂を墓に撒くと死者は極楽往生できるとも言われています。
光明真言は密教の真言で、正式には不空大灌頂光真言(ふくうだいかんぢょうこうしんごん)と言います。光明真言は「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」という23の梵字と休止符(ウン)を加えた24の梵字からなり、サンスクリット語のまま読誦されます。ちなみに直訳すると「帰命し奉る 空しからざる遍照尊よ 偉大なる印相よ 摩尼宝珠と蓮華の光明を回らしたまえ」という意味になるそうです。なお光明真言は唱えると一切の罪障が除かれ、福徳が得られたり、死者を成仏させたりするとされています。

【西大寺 歴史・簡単概要】
西大寺(さいだいじ)は764年(天平宝字8年)孝謙上皇(第46代・孝謙天皇)が藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱の鎮圧を祈願する為、鎮護国家の守護神とされる四天王像の造仏を誓願し、翌765年(天平神護元年)に第48代・称徳天皇となった孝謙上皇が四天王像を造仏したのが起源とも言われています。その後称徳天皇(孝謙上皇)の勅願により、称徳天皇の父で、第45代・聖武天皇が平城京の東に東大寺を創建したように平城京の西に僧・常騰を開山として、西大寺が創建されました。ちなみに鎮護国家の為に四天王像を祀るのは金光明最勝王経に基づくものと言われています。ただ794年(延暦13年)の平安京遷都後には災害に見舞われたし、平安時代中期以降に衰退し、1235年(文暦2年)に入住した興正菩薩叡尊上人(こうしょうぼさつえいそんしょうにん)が再興しました。しかし1502年(文亀2年)の火災によって伽藍の多くを焼失し、江戸時代に幕府から寄進によって再建されました。なお1895年(明治28年)に真言宗から独立し、真言律宗を開祖しました。
西大寺は真言律宗の総本山です。
*参考・・・西大寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【西大寺光明真言土砂加持大法会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
西大寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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