帯解寺子安地蔵会式2025年7月23日・24日(日程時間・・・)
帯解寺子安地蔵会式(日程時間・アクセス・概要・・・)
帯解寺子安地蔵会式(日程・・・)を紹介しています。子安地蔵会式は例年7月23日・24日に行われています。子安地蔵会式では長さ約30メートルの紅白の岩田帯を持った信者・僧侶・楽人・NARA CITY コンシェルジュ(ミス奈良)などが町を練り歩き、本尊・子安地蔵菩薩に岩田帯を供え、求子・安産を祈願する岩田帯練供養が行われます。(詳細下記参照)
【帯解寺子安地蔵会式2025 日程時間(要確認)】
帯解寺子安地蔵会式2025は2025年(令和7年)7月23日(水曜日)・24日(木曜日)に行われます。過去のタイムテーブルは7月23日19:00から岩田帯練供養、7月23日19:30から理趣三昧大法要、7月24日19:30から理趣三昧大法要が行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・帯解寺ホームページ
【帯解寺子安地蔵会式 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市今市町734
最寄り駅・バス停・・・帯解駅(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR桜井線
路線・時刻表・運賃チェック
●隆興寺(隣接する春日神社)・・・奈良県奈良市今市町661(帯解駅徒歩約3分)
【帯解寺子安地蔵会式 歴史・簡単概要】
帯解寺子安地蔵会式(こやすじぞうえしき)では地蔵菩薩の縁日と前夜の宵縁日に行われます。子安地蔵会式は平安時代から行われていたとも言われるが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や戦争によって一時中断し、昭和50年代に再興されました。なお子安地蔵菩薩は真言宗の宗祖である弘法大師・空海が一刀三礼で自ら刻んだとも言われています。子安地蔵菩薩は腹前に布や結び紐が彫られていることから腹帯地蔵とも言われ、求子・安産のご利益があるとされています。
子安地蔵会式では長さ約30メートルの紅白の岩田帯を持った信者・僧侶・楽人・NARA CITY コンシェルジュ(ミス奈良)などが町を練り歩き、本尊・子安地蔵菩薩(重要文化財)に岩田帯を供え、求子・安産を祈願する岩田帯練供養が行われます。また子安地蔵会式では本堂で理趣三昧大法要(りしゅざんまいだいほうよう)が行われ、諸願成就を祈願します。子安地蔵会式では雅楽も奉納されます。なお屋台も立ち並びます。(要確認)
地蔵菩薩は菩薩の一尊です。地蔵菩薩は大地が全ての命を育むように苦悩する衆生を慈悲の心で救うことから名付けられたそうです。地蔵菩薩はお釈迦様が入滅し、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が如来として現れるまでの無仏の期間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)の衆生を救済するとされています。ちなみに地蔵菩薩は日本では平安時代中期以降に信仰されるようになり、子供の守り神とされています。なお地蔵菩薩は菩薩だが、一般的に右手に錫杖(しゃくじょう)・左手に宝珠(ほうじゅ)を持った僧形をしています。
岩田帯は妊娠5ヶ月目、または7ヶ月目の戌(いぬ)の日に巻きます。戌(犬)は多産だが、お産が軽いことからお産が軽く済むと信じられています。ちなみに岩田帯には腹部を保護したり、胎児の位置の正常を保ったりする働きあります。
【帯解寺 歴史・簡単概要】
帯解寺(おびとけでら)は寺伝によると真言宗の宗祖である弘法大師・空海の師とも言われている勤操大徳が開いた巌渕千坊のひとつが起源とも言われています。帯解寺はかつて霊松庵とも言われたそうです。その後858年(天安2年)第55代・文徳天皇の勅願によって伽藍が建立され、勅命によって帯解寺と称するようになりました。文徳天皇と后・染殿皇后(藤原明子)は長く世継ぎに恵まれなかったが、祖神・春日明神のお告げにより、帯解寺で祈願したところ第56代・清和天皇(惟仁親王)を授かりました。以来帯解寺は子授け・安産祈願の寺として信仰されるようになったそうです。その後江戸時代に世継ぎがなかった江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の正室・お江の方が祈願すると第3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)を授かり、家光の側室・御楽の方が祈願すると第4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)を授かったと言われています。家光は瑞祥記を下賜したり、仏像・仏具などを寄進したりし、1663年(寛文3年)には家綱が手水鉢(ちょうずばち)を寄進したとも言われています。
帯解寺は華厳宗の寺院です。
*参考・・・帯解寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【帯解寺子安地蔵会式 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
帯解寺(アクセス・見どころ・・・)情報