森村家住宅(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

森村家住宅

森村家住宅(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。森村家は興福寺に属する豪族・十市氏の一族・新賀氏の後裔とも言われています。新賀氏は室町時代に新賀荘を本拠とし、興福寺の寺領を実質的に支配したが、室町時代中期になると橿原市北部の十市氏と橿原市南部の越智氏が領地争いを繰り広げたそうです。

【森村家住宅 アクセス・地図】
場所・・・奈良県橿原市新賀町
最寄り駅・バス停・・・近鉄大和八木駅(徒歩約13分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄橿原線または近鉄大阪線
路線・時刻表・運賃チェック

【森村家住宅 拝観時間・時間(要確認)】
不明

【森村家住宅 拝観料金・料金(要確認)】
不明

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【森村家住宅 歴史・簡単概要】
森村家住宅(もりむらけじゅうたく)は江戸時代中期の1732年(享保17年)に主屋・内蔵・別座敷・表門が建てられました。森村家は室町時代に大和国を実質的に支配した法相宗(ほっそうしゅう)の大本山・興福寺(こうふくじ)に属する豪族・十市氏(とおちし)の一族・新賀氏(しんがし)の後裔とも言われています。ちなみに十市氏は室町時代中期以降に筒井氏(つついし)・古市氏(ふるいち)・越智氏(おちし)とともに四強と言われていました。森村家は江戸時代に十市郡(とおいちぐん)13ヵ村の大庄屋を勤めました。主屋は1732年(享保17年)の建築願書が残されていることから1732年(享保17年)に再建されたと言われています。森村家住宅は濠をめぐらし、豪族の邸宅の構えを残しているとも言われ、奈良盆地でも最大規模の民家のひとつと言われています。主屋は東半分が土間・釜屋部分で、大戸の下手脇にシモミセを設けています。西半分が居室部で、三室を三列に配した整形九間取りになっています。主屋の土手には床・棚・書院を備えた別座敷があります。屋根は切妻造の茅葺で、四方に庇が付けられています。主屋・別座敷ともに上質で、奈良県内で有数の古い民家で、両妻壁を屋根面まで立ち上げた大和棟の初期の建物と言われています。なお森村家住宅には主屋・内蔵・別座敷・表門以外にも米蔵・納屋もあります。
*参考・・・森村家住宅(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【森村家住宅 見どころ・文化財】
森村家住宅の見どころはいずれも重要文化財に指定(1989年(平成元年)9月2日)されている主屋・内蔵・別座敷・表門です。主屋は江戸時代中期の1732年(享保17年)に建てられました。主屋は桁行約24.1メートル・梁間約13.9メートルで、切妻造(きりづまづくり)の茅葺(かやぶき)です。(鉄板仮葺)主屋は北面・南面・東面に庇(ひさし)付きです。内蔵は江戸時代中期の1732年(享保17年)に建てられました。内蔵は土蔵造(どぞうづくり)の二階建、桁行約6.7メートル・梁間約4.8メートルで、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。別座敷は江戸時代中期の1732年(享保17年)に建てられました。内蔵は桁行約11.8メートル・梁間約6.9メートルで、桟瓦葺(さんがわらぶき)です。別座敷は四面に庇付きです。表門は江戸時代中期の1732年(享保17年)に建てられました。表門は長屋門(ながやもん)、桁行約19.3メートル・梁間約4.0メートルで、切妻造の茅葺です。(鉄板仮葺)西面突出部は桁行約4.0メートル・梁間約3.0メートルで、切妻造の桟瓦葺です。

【森村家住宅 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0744-20-1123(橿原市観光協会)

【森村家住宅 おすすめ散策ルート】
森村家住宅からは西側にある石仏(上品寺)・稲荷神社を散策するのがおすすめです。なお森村家住宅は市街地から少し離れ、周囲に観光スポットがないことから次の観光スポットに向かって、その周辺を散策するのがおすすめです。

【森村家住宅 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。

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