ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談/7/(日程・・・)
ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談
ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談(日程・・・)を紹介しています。ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談は毎年夏に行われています。ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談は真夏の夜に落語・講談の怪談話が元興寺で行われます。ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談では元興寺の本堂の特別拝観も行われます。
【ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談2016 日程時間(要確認)】
ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談2016は2016年(平成28年)7月29日(金曜日)~31日(日曜日)・8月5日(金曜日)~7日(日曜日)20:00から行われます。
【ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談 元興寺 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市中院町11
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
*JR奈良線・奈良駅(徒歩約20分)
*JR奈良線・奈良駅からバスの場合、田中町(徒歩約5分)
*近鉄奈良線・奈良駅からバスの場合、福智院町(徒歩約5分)
路線・時刻表・運賃チェック
【ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談 歴史・簡単概要】
ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談は真夏の夜に落語・講談の怪談話が元興寺で行われます。ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談では元興寺の本堂(国宝)の特別拝観も行われます。ちなみに本堂は禅室とともに奈良時代に往生人智光法師・礼光法師などの僧侶が住んでいた僧房を1244年(寛元2年)に改築したものです。本堂は往生人智光法師感得の浄土曼荼羅を祀り、極楽堂とも、曼荼羅堂とも言われ、南都における浄土教発祥の聖地とも言われています。
【ならまち 歴史・簡単概要】
ならまち(奈良町)は奈良県奈良市の中心市街地の東南部にあります。ならまちは歴史的に元興寺(がんごうじ)の境内に当たり、江戸時代以降の町屋が多く残されています。ちなみに元興寺(飛鳥寺)は588年(崇峻天皇元年)蘇我馬子(そがのうまこ)が甥で、第32代・崇峻天皇(すしゅんてんのう)が即位した際、法興寺(ほうこうじ)を創建したのが起源と言われています。710年(和銅3年)の平城京遷都後の718年(養老2年)に平城京に移され、名称も法興寺から元興寺に改められました。ならまちは平城京の外京として整備され、中世以降に筆・墨・刀・酒・醤油などの産業が発展し、商工業都市が形成されました。太平洋戦争による大規模空襲を免れ、街並みが残されました。なおならまちは地域の人々には奈良町と言われたり、表記されたりすることが多いそうです。
ならまちは奈良町都市景観形成地区に指定されています。
*参考・・・ならまち(アクセス・見どころ・・・)ホームページ・ならまち(アクセス・見どころ・・・)wikipedia
【元興寺 歴史・簡単概要】
元興寺(がんごうじ)は588年(崇峻天皇元年)蘇我馬子(そがのうまこ)が甥で、第32代・崇峻天皇が即位した際、法興寺(ほうこうじ)を創建したのが起源と言われています。ちなみに法興寺は地名から飛鳥寺とも言われたそうです。710年(和銅3年)の平城京遷都後の718年(養老2年)に平城京に移され、名称も法興寺(飛鳥寺)から元興寺に改められました。元興寺の名称は「仏法元興之場、聖教最初の地」の言葉に由来するそうです。その後平安時代末期からの末法思想の流行や阿弥陀信仰の隆盛により、曼荼羅(まんだら)を祀る堂は極楽坊とも言われ、発展しました。1451年(宝徳3年)の土一揆によって炎上し、曼荼羅を祀る極楽院・五重塔を中心とした元興寺観音堂・小塔院の3つに分裂しました。極楽院は1955年(昭和30年)に元興寺極楽坊、1977年(昭和52年)には元興寺に名称を改めました。なお元興寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
元興寺は真言律宗の寺院です。
*参考・・・奈良世界遺産・元興寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
ならまち(アクセス・見どころ・・・)情報
奈良世界遺産・元興寺(アクセス・見どころ・・・)情報