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カテゴリー:ならまち
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ならまち(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
ならまち(奈良町)は710年(和銅3年)の平城京遷都に伴い、飛鳥寺とも言われた元興寺(法興寺・ほうこうじ)が飛鳥から平城京に移されたことから平城(奈良)の飛鳥とも言われたそうです。ちなみにならまち(奈良町)には町名は残されていないが、飛鳥小学校があるそうです。 -
頭塔(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
頭塔が墓とも言われている玄昉は岡寺(龍蓋寺)で法相宗の祖・義淵僧正に行基・良弁などどもに学び、726年(神亀3年)に遣唐使として入唐し、735年(天平7年)には5千巻以上の経典や仏像を持って帰国したとも言われています。 -
福智院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
福智院を創建したと言われている玄昉は岡寺(龍蓋寺)で法相宗の祖・義淵僧正に行基・良弁などどもに学び、726年(神亀3年)に遣唐使として入唐し、735年(天平7年)には5千巻以上の経典や仏像を持って帰国したとも言われています。 -
高林寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
高林寺ゆかりの藤原豊成は704年(大宝4年)に父・藤原武智麻呂と母・阿倍貞媛の間に生まれ、737年 (天平9年) に父や叔父が亡くなると参議になり、749年(天平感宝元年)には右大臣になるが、その後一時左遷され、弟・藤原仲麻呂が失脚すると右大臣に復しました。 -
十輪院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
十輪院には現在東京国立博物館構内にある校倉倉庫である宝蔵(重要文化財)があったが、1882年(明治15年)に移されました。ちなみに宝蔵内に収められていた大般若経六百巻(天平時代)は薬師寺の所有となり、その後奈良国立博物館などに分蔵されました。 -
御霊神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
御霊神社の秋季例祭ではかつて疫病が流行した際、中街道に祭神・井上皇后(いがみこうご)、上街道に祭神・早良親王(さわらしんのう)、下街道に祭神・他戸親王(おさべしんのう)の神霊をのせた神輿を据え、疫病の侵入を防いでいたそうです。 -
元興寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・世界遺産
元興寺の五重塔は寺伝によると総高約72.7メートルで、東寺(京都)の五重塔よりも高かったとされていたが、1859年(安政6年)に観音堂などの伽藍とともに焼失しました。ただ五重塔は実際に50メートルぐらいだったとも言われています。 -
ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談/7/(日程・・・)
ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談(日程・時間等)を紹介。ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談は毎年夏に行われています。ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談は真夏の夜に落語・講談の怪談話が元興寺で行われます。ならまちナイトカルチャー・真夏の怪談では元興寺の本堂の特別拝観も行われます。