春日大社日供始式並興福寺貫首社参式2025/1/2(日程時間・・・)
春日大社日供始式並興福寺貫首社参式
春日大社日供始式並興福寺貫首社参式(日程・・・)を紹介しています。日供始式並興福寺貫首社参式は例年1月2日に行われています。日供始式では朝夕神前に供える日供が恙なく奉仕できるよう祈念し、大神の加護を祈願します。日供始式では興福寺の貫首が中門下で唯識論(ゆいしきろん)を奉唱し、春日大社の摂社・若宮神社で般若心経を読経します。(詳細下記参照)
【春日大社日供始式並興福寺貫首社参式2025 日程時間(要確認)】
春日大社日供始式並興福寺貫首社参式2025は2025年(令和7年)1月2日(木曜日)10:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・春日大社ホームページ
【春日大社日供始式並興福寺貫首社参式 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市春日野町160
最寄り駅・バス停・・・春日大社本殿(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅からは奈良交通バス・春日大社本殿行き
*奈良交通バス・市内循環外回りの場合、春日大社表参道(徒歩約10分)
路線・時刻表・運賃チェック
【春日大社日供始式並興福寺貫首社参式 歴史・簡単概要】
春日大社日供始式並興福寺貫首社参式(にっくはじめしきならびにこうふくじかんすしゃさんしき)はかつて春日大社が藤原氏の氏神・興福寺(こうふくじ)が藤原氏の氏寺として、古来から一体として奉仕してきたことに由来しているそうです。ただ明治維新後の神仏分離(廃仏毀釈)により、一時中断されたとも言われています。
日供始式では朝夕神前に供える日供が恙なく奉仕できるよう祈念し、大神の加護を祈願します。日供始式では興福寺一山の僧侶が春日大社に参拝し、貫首が中門下で唯識論(ゆいしきろん)を奉唱し、春日大社の摂社・若宮神社で般若心経(はんにゃしんぎょう)を読経します。なお日供始式並興福寺貫首社参式は無始無終の絶対の仏様が衆生済度の為、様々な神様の形で現れ、仏様も神様も帰するところは一緒であるという本地垂迹(ほんぢすいじゃく)に由来するとも言われています。
●春日大社の歴史(創建から現在)を紹介しています。
春日大社歴史
●春日大社の見どころ(本殿・南門など)を紹介しています。
春日大社見どころ
【春日大社 歴史・簡単概要】
春日大社(かすがたいしゃ)は社伝によると約1,300年前に常陸国・鹿島神宮の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂・浮雲峰(うきぐものみね)に勧請したのが起源と言われています。その後768年(神護景雲2年)左大臣・藤原永手(ふじわらのながて)が第48代・称徳天皇の勅命により、現在の場所に社殿を造営して、下総国・香取神宮の経津主命(ふつぬしのおおみこと)や河内国・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)を勧請したと言われています。その後平安時代に藤原氏が隆盛すると官祭が行われるようになりました。ちなみに春日大社の例祭・春日祭は賀茂社(かもしゃ(上賀茂神社・下鴨神社))の葵祭・石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の石清水祭と合わせて、三大勅祭に数えられました。1135年(保延元年)に若宮神社が建立され、翌1136年(保延2年)に春日若宮おん祭が始まりました。春日大社は藤原氏の氏寺だった興福寺(こうふくじ)と関係が深く、興福寺が実権を握っていた時期もありました。なお春日大社は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
*参考・・・奈良世界遺産・春日大社(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【興福寺 歴史・簡単概要】
興福寺(こうふくじ)は669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり))の妻・鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為に藤原鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺(やましなでら)を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺(うまやさかでら)と言われました。その後710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等(うじわらのふひと)が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。720年(養老4年)に藤原不比等が亡くなると造興福寺仏殿司が設けられ、国家事業として伽藍が整備され、奈良時代に四大寺、平安時代に七大寺に数えられ、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)とともに南都北嶺と称されました。最盛期には一乗院(いちじょういん)・大乗院(だいじょういん)など塔頭や付属寺院が百か院以上を数えたそうです。また平安時代に春日大社(かすがたいしゃ)の実権も手に入れ、大和国を領するほどになり、鎌倉時代・室町時代に鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たり、江戸時代には興福寺・春日大社の知行地が2万1千余石と定められました。なお興福寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
興福寺は法相宗の大本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【春日大社日供始式並興福寺貫首社参式 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・春日大社(アクセス・見どころ・・・)情報
春日若宮おん祭2024日程