正暦寺人形供養2025/3/9(日程時間・・・)
正暦寺人形供養
正暦寺人形供養(日程・・・)を紹介しています。人形供養は例年3月9日に行われています。人形供養では先ず愛染法(あいぜんほう)が勤修され、その後柴燈護摩供養(さいとうごまくよう)が行われます。人形供養では人形に「ありがとう」という感謝の気持ちを持って祈念されます。なお福寿院では1年中人形供養を行っています。(詳細下記参照)
【正暦寺人形供養2025 日程時間(要確認)】
正暦寺人形供養2025は2025年(令和7年)3月9日(日曜日)14:00~15:30に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・正暦寺ホームページ
【正暦寺人形供養 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市菩提山町157
最寄り駅・バス停・・・柳茶屋(徒歩約30分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅からバス・米谷町行き
*紅葉シーズン(11月中旬~12月初旬)にはJR奈良駅・近鉄奈良駅から臨時バスが出る予定です。(要確認)
路線・時刻表・運賃チェック
【正暦寺人形供養 歴史・簡単概要】
正暦寺人形供養(にんぎょうくよう)は例年3月9日に行われています。人形供養では1年に1度、正暦寺に持参されたり、郵送されたりした人形の総供養として、大護摩供養(おおごまくよう・柴燈護摩供養)が行われます。
人形供養では先ず愛染法(あいぜんほう)が勤修され、その後柴燈護摩供養(さいとうごまくよう)が行われます。人形供養では人形に「ありがとう」という感謝の気持ちを持って祈念されます。なお正暦寺の福寿院では3月9日の人形供養以外にも1年中人形供養を行っています。
人形供養では人形であれば、種類や素材は問いません。日本人形(ひな人形など)・洋風人形(フランス人形など)・手作りのお人形・ぬいぐるみなどの人形全般、そしてこけし・羽子板・だるま・こいのぼり・まねき猫・フィギア・おもちゃなども受け付けています。
護摩はバラモン教の宗教儀礼が起源とされ、主に天台宗・真言宗で行われています。護摩には護摩壇に火を点けて護摩木を焚いて祈願する外護摩と心の中の煩悩などを心の火で焼き払う内護摩などがあるそうです。
柴燈護摩供養(柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)・大柴燈護摩供(だいさいとうごまく))は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の孫弟子で、醍醐寺(だいごじ)の開山・真言宗小野流の祖・当山派修験道の祖である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう) が初めて行ったとも言われています。
【正暦寺 歴史・簡単概要】
正暦寺(しょうりゃくじ)は992年(正暦3年)関白・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の子・兼俊僧正(けんしゅんそうじょう)が第66代・一条天皇の勅命によって創建したと言われています。正暦寺は勅願寺になり、86院もの塔頭(たっちゅう)が渓流を挟んであったと言われています。しかし1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討により、全山が焼失し、寺領も没収され、一時は廃墟になったとも言われています。その後1218年(建保6年)興福寺(こうふくじ)・大乗院(だいじょういん)門跡の住職で、関白・藤原忠通(ふじわらのただみち)の子・信円僧正(しんえんそうじょう)が法相宗の学問所として再興しました。正暦寺は大乗院門跡が兼帯し、興福寺の別院・正願院門跡になったとも言われています。また建暦年間(1211年~1218年)頃に浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の弟子・蓮光法師が草庵(安養院・別院の迎接院)を結んだと言われています。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に再興された82院の塔頭によって伽藍が整備されたが、1629年(寛永6年)に焼失しました。なお江戸中期以降に京都・仁和寺(にんなじ)の末寺になったが、1967年(昭和42年)には仁和寺から独立しました。
正暦寺は菩提山真言宗の本山です。
*参考・・・正暦寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ・正暦寺(アクセス・見どころ・・・)wikipedia
【正暦寺人形供養 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
正暦寺(アクセス・見どころ・・・)情報