良因寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

良因寺跡

良因寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。良因寺を平安時代前期に訪れたとも言われている小野小町はクレオパトラ7世・楊貴妃とともに世界三大美人に数えられています。ただ生没年など詳細は明確ではなく、出羽郡司・小野良真の娘とも、公卿・小野篁の孫とも言われています。

【良因寺跡 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県天理市布留町
最寄り駅・バス停・・・天理駅(徒歩約25分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR桜井線・近鉄天理線
路線・時刻表・運賃チェック

【良因寺跡 拝観時間・時間(要確認)】
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【良因寺跡 拝観料金・料金(要確認)】
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【良因寺跡 歴史・簡単概要】
良因寺跡(りょういんじあと)は奈良県天理市布留町にあります。良因寺は起源が明確ではありません。良因寺は良峯寺・石上寺とも言われ、寺領が一町二反六十歩(約四千坪)あったとも言われています。平安時代前期に六歌仙・三十六歌仙に数えられた女流歌人・小野小町(おののこまち)が六歌仙・三十六歌仙に数えられた僧・遍昭(へんじょう)のいる良因寺を訪ね、二人で詠んだ歌が「後選和歌集(ごせんわかしゅう)」に残され、良因寺は平安時代前期には既に建立されていたと言われています。小野小町は「いそのかみ 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を われにかさなむ」、遍昭は「世をそむく 苔の衣は ただ一重 かさねばうとし いざ二人ねむ」と詠みました。ちなみに遍昭は第50代・桓武天皇(かんむてんのう)の孫で、俗名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)と言い、第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう)に仕えたが、850年(嘉祥3年)に出家して花(華)山僧正と言われました。良因寺は江戸時代後期の1831年(天保2年)の文献に寺名が記され、江戸時代後期まで存続していたと言われています。良因寺跡には往時の面影が残されていないが、発掘調査によって良因寺に関わる遺構や遺物が発見されています。また西塔・堂ノ前・堂ノ垣内・堂ノ後などの字名が残されています。なお良因寺跡は道路より少し高くなっており、一帯は住宅地になっています。
*参考・・・良因寺跡(アクセス・見どころ・・・)

【良因寺跡 見どころ・文化財】
良因寺跡の見どころは厳島神社に建立されている小野小町と遍昭の歌碑です。歌碑は1992年(平成4年)に建立されたと言われています。

【良因寺跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0743-63-1242(天理市観光協会)

【良因寺跡 おすすめ散策ルート】
良因寺跡では南側に位置する石上神宮を散策するのがおすすめです。天理教教会本部一帯を散策するのもいいかもしれません。

【良因寺跡 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。

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