薪御能2025年5月16日・17日(日程時間・・・)
薪御能
薪御能(日程・・・)を紹介しています。薪御能は例年5月の第3金曜日・土曜日に行われています。薪御能では午前中に春日大社で咒師走りの儀(舞殿・1日目)・御社上りの儀(若宮神社・2日目)が行われ、夕方から興福寺の南大門跡で南大門の儀が行なわれます。なお薪御能では金春流・大蔵流・金剛流・観世流・宝生流が奉仕します。(詳細下記参照)
【薪御能2025 日程時間(要確認)】
薪御能2025は2025年(令和7年)5月16日(金曜日)・17日(土曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
●5月16日11:00から春日大社・舞殿で咒師走りの儀、17:30から興福寺・南大門跡で南大門の儀が行われます。
●5月17日11:00から春日大社・若宮で御社上りの儀、17:30から興福寺・南大門跡で南大門の儀が行われます。
*参考・・・奈良市観光協会ホームページ
【薪御能・春日大社 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市春日野町160
最寄り駅・バス停・・・春日大社本殿(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅からは奈良交通バス・春日大社本殿行き
*奈良交通バス・市内循環外回りの場合、春日大社表参道(徒歩約10分)
路線・時刻表・運賃チェック
【薪御能・興福寺 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市登大路町48
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
*JR奈良駅から市内循環バスの場合、県庁前(徒歩すぐ)
【薪御能 歴史・簡単概要】
薪御能(たきぎおのう)は平安時代中期に興福寺で行われていた修二会(しゅにえ)の舞楽が起源と言われています。ちなみに修二会は1月(正月)に行われる修正会 (しゅしょうえ) と同様に昨年を反省し、新年の国家安泰・天下泰平・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願します。修二会は2月に行われることに由来し、修二月会とも言われています。修二会は中国のから伝わり、奈良時代には南都七大寺で盛んに行われるようになったと言われています。なお薪御能は篝火が焚かれる中、演じられる薪能の起源になったと言われています。
薪御能では1日目の午前中に春日大社の舞殿で咒師走りの儀(しゅしはしりのぎ)、2日目の午前中に春日大社の摂社・若宮神社で御社上りの儀(ごしゃのぼりのぎ))が行われます。1日目・2日目の夕方から興福寺の南大門跡で南大門の儀が行なわれます。なお薪御能では金春流・大蔵流・金剛流・観世流・宝生流が奉仕します。
能・狂言はともに平安時代に起こった猿楽が起源です。能はストーリー性のある猿楽の能から発展した歌舞劇、狂言は滑稽な物真似(ものまね)を洗練させた庶民的な喜劇・笑劇です。なお能・狂言は明治維新前までは猿楽と言われていたが、明治維新後は能楽と言われるようになりました。
*参考・・・薪御能ホームページ
【興福寺 歴史・簡単概要】
興福寺(こうふくじ)は669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり))の妻・鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為に藤原鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺(やましなでら)を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺(うまやさかでら)と言われました。その後710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等(うじわらのふひと)が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。720年(養老4年)に藤原不比等が亡くなると造興福寺仏殿司が設けられ、国家事業として伽藍が整備され、奈良時代に四大寺、平安時代に七大寺に数えられ、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)とともに南都北嶺と称されました。最盛期には一乗院(いちじょういん)・大乗院(だいじょういん)など塔頭や付属寺院が百か院以上を数えたそうです。また平安時代に春日大社(かすがたいしゃ)の実権も手に入れ、大和国を領するほどになり、鎌倉時代・室町時代に鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たり、江戸時代には興福寺・春日大社の知行地が2万1千余石と定められました。なお興福寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
興福寺は法相宗の大本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【春日大社 歴史・簡単概要】
春日大社(かすがたいしゃ)は社伝によると約1,300年前に常陸国・鹿島神宮の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂・浮雲峰(うきぐものみね)に勧請したのが起源と言われています。その後768年(神護景雲2年)左大臣・藤原永手(ふじわらのながて)が第48代・称徳天皇の勅命により、現在の場所に社殿を造営して、下総国・香取神宮の経津主命(ふつぬしのおおみこと)や河内国・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)を勧請したと言われています。その後平安時代に藤原氏が隆盛すると官祭が行われるようになりました。ちなみに春日大社の例祭・春日祭は賀茂社(かもしゃ(上賀茂神社・下鴨神社))の葵祭・石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の石清水祭と合わせて、三大勅祭に数えられました。1135年(保延元年)に若宮神社が建立され、翌1136年(保延2年)に春日若宮おん祭が始まりました。春日大社は藤原氏の氏寺だった興福寺(こうふくじ)と関係が深く、興福寺が実権を握っていた時期もありました。なお春日大社は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
*参考・・・奈良世界遺産・春日大社(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【薪御能 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
興福寺(アクセス・見どころ・・・)情報
興福寺見どころ