徳融寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
徳融寺
徳融寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。徳融寺は大和北部八十八ヶ所霊場の第4番札所になっています。大和北部八十八ヶ所霊場は江戸時代中期の明和年間(1764年~1772年)に創始されました。奈良市・大和郡山市・生駒市・桜井市・宇陀市などの寺院が札所になっています。
【徳融寺 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市鳴川町25
最寄り駅・バス停・・・北京終町(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス
*近鉄奈良駅(徒歩約15分)、JR奈良駅(徒歩約20分)、JR京終駅(徒歩約5分)
路線・時刻表・運賃チェック
【徳融寺 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~16:00
【徳融寺 拝観料金・料金(要確認)】
志納
【徳融寺 歴史・簡単概要】
徳融寺(とくゆうじ)・豊成山高林院徳融寺は奈良県奈良市鳴川町にあります。徳融寺は奈良時代に當麻寺(葛城市)の綴織當麻曼陀荼羅図(つづれおりたいままんだらず)を蓮(はす)の糸を用いて一夜で織り上げたという中将姫(ちゅうじょうひめ)の父・藤原豊成(ふじわらのとよなり)の邸があった場所とも言われています。また徳融寺は近くの誕生寺(たんじょうじ)とともに中将姫が誕生した誕生地とも言われています。中将姫は美しく、聡明だったが、継母にいじめれ、父の従者に殺害され掛かったが、従者が極楽往生を願って読経する姿を憐れみ、山に置き去りにし、改心した父が連れ戻しました。しかし中将姫は當麻寺に出家し、その後生身の阿弥陀仏(あみだぶつ)と二十五菩薩(にじゅうごぼさつ)とともに極楽浄土(ごくらくじょうじゅ)に旅立ったと言われています。境内には中将姫と藤原豊成を祀った2基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建立され、中将姫が継母に折檻(せっかん)されたと言われる虚空塚・雪責の松が残っています。徳融寺はかつて元興寺(がんごうじ)の子院(塔頭(たっちゅう)のひとつで、真言宗(しんごんしゅう)に属していたと言われています。室町時代中期の1451年(宝徳3年)に元興寺が土一揆で焼失した際に本尊が移されたと言われています。桃山時代の1590年(天正18年)に現在の場所に移り、融通念仏宗(ゆうづうねんぶつしゅう)に改められました。江戸時代前期の1632年(寛永9年)に毘沙門堂が建立され、1667年(寛文7年)に休岸上人が堂宇を整備しました。
徳融寺は融通念仏宗の寺院です。
*参考・・・徳融寺(アクセス・見どころ・・・)
【徳融寺 見どころ・文化財】
徳融寺の見どころは中将姫ゆかりの2基の宝篋印塔と虚空塚です。2基の宝篋印塔は「奈良県史」によると1677年(延宝5年)に中将姫ゆかりの高林寺から移されたと言われています。2基の宝篋印塔は1560年(永禄3年)に大和国の戦国大名・松永久秀(まつながひさひで)が多聞城(多聞山城)を築城した際に徴発されそうになったとも言われています。またいずれも奈良県指定文化財である本堂・毘沙門堂です。本堂は北条政子(ほうじょうまさか)が念持仏としていたとも言われる本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)立像を祀っています。また赤ん坊を胸の前に抱く子安観音(こやすかんのん)像を安置する観音堂も見どころです。
【徳融寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0742-22-3881(徳融寺)
【徳融寺 おすすめ散策ルート】
徳融寺では北東にある世界遺産の元興寺を散策するのがおすすめです。ならまち(奈良町)はかつて元興寺の境内だったとも言われ、ならまちを散策するのもいいかもしれません。
【徳融寺 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場なし。