和爾坐赤坂比古神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
和爾坐赤坂比古神社
和爾坐赤坂比古神社(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。和爾坐赤坂比古神社にゆかりがあると言われる和珥氏は大和国添上郡和邇と添下郡に本拠を置き、4世紀頃から6世紀頃に奈良盆地東北部一帯に勢力を持っていた古代豪族です。天皇家と姻戚関係を結び、多くの后妃を出しました。
【和爾坐赤坂比古神社 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県天理市和爾町北垣内
最寄り駅・バス停・・・櫟本駅(徒歩約25分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR桜井線
路線・時刻表・運賃チェック
【和爾坐赤坂比古神社 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【和爾坐赤坂比古神社 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【和爾坐赤坂比古神社 歴史・簡単概要】
和爾坐赤坂比古神社(わににいますあかさかひこじんじゃ)は奈良県天理市和爾町北垣内にあります。社名である「和爾」から古代豪族・和珥(わに・和邇・丸邇・丸)氏とゆかりがあると言われています。また社名である「赤坂比古」は主祭神・阿田賀田須命(あだかたすのみこと)の別名とされ、和爾神とも言われています。和爾神は東大寺二月堂の「神明帳」に和爾大明神として記されています。ちなみに和爾坐赤坂比古神社は現在、阿田賀田須命と市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)を祀っています。和爾坐赤坂比古神社は起源が明確ではありません。奈良時代前期の730年(天平2年)の「大倭国正税帳・(正倉院文書)」に記され、奈良時代前期には既に祀られていたとも言われています。「日本三代実録(にほんさんだいじつろく)」によると平安時代前期の859年(貞観元年)に神階(しんかい)が従五位下(じゅごいげ)から従五位上(じゅごいじょう)に昇叙しました。平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」によると式内大社(しきないたいしゃ)に列せられました。神宮寺として常楽寺が建立されていたが、明治維新後の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって常楽寺が廃寺になり、、仏像などが浄土宗(じょうどしゅう)の善福寺に遷されました。なお和爾坐赤坂比古神社はかつて集落の東側で、小字「天神」に祀られていたが、その後現在の場所に遷されたと言われています。
*参考・・・和爾坐赤坂比古神社(アクセス・見どころ・・・)
【和爾坐赤坂比古神社 見どころ・文化財】
和爾坐赤坂比古神社の見どころは春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)の本殿です。また明治維新後に廃寺になった常薬寺から遷されたとも言われる春日大社・八幡神社も見どころです。
【和爾坐赤坂比古神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0743-63-1242(天理市観光協会)
【和爾坐赤坂比古神社 おすすめ散策ルート】
和爾坐赤坂比古神社では南西に位置する山ノ神神社を散策するのがおすすめです。周辺にはあまり観光スポットがないことから次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。
【和爾坐赤坂比古神社 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。