登彌神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

登彌神社

登彌神社(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。登彌神社では例年2月1日に奈良市の無形文化財に指定されている粥占い(かゆうらない・筒粥祭(つつかゆまつり))が行われます。また登彌神社では植付感謝祭・豊饒祈念祭などで御湯神事も行われます。

【登彌神社 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市石木町648-1
最寄り駅・バス停・・・木島(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄郡山駅からバス・若草台行き
路線・時刻表・運賃チェック

【登彌神社 拝観時間・時間(要確認)】
自由

【登彌神社 拝観料金・料金(要確認)】
志納

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【登彌神社 歴史・簡単概要】
登彌神社(とみじんじゃ)は奈良県奈良市石木町にあります。登彌神社は紀元前657年(神武天皇4年)2月23日に初代・神武天皇(じんむてんのう)が鳥見山(とりみや・とみやま)山中に皇祖神・天神を祀り、神恩感謝のお祭りを行ったのが起源とも言われています。この地では豪族・長髄彦(ながすねひこ)が勢力を振るい、神武天皇は大和平定に苦戦したが、饒速日命(にぎはやひのみこと)が神武天皇に忠誠したことなどから大和が平定されました。その後神武天皇の大和平定に功績のあった饒速日命の子孫・登美連がこの地に先祖と天神地祇(てんじんちぎ)を祀ったと言われています。768年(神護景雲2年)に春日大社に河内国・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)、下総国・香取神宮の経津主命(ふつぬしのおおみこと)が勧請された際、登彌神社で行宮したことから天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祀られるようになりました。平安時代中期に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に記され、式内社に列せられたと言われています。登彌神社では時代の変遷とともに祭神に変遷があったと言われているが、現在は造化の神である高皇産霊神(たかみすみのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)・八幡神(はちまんのかみ)である誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇(おうじんてんのう))・春日明神(かすがみょうじん)である天児屋根命(あめのこやねのみこと)・物部の祖である登美饒速日命(とみのにぎはやひのみこと)の五柱を東西の本殿に祀っています。また左右の小宮には大日霊女命・豊受比売神・天宇受女神・大山祇神・庭高津日神・大物主神・菅原道真・猿田彦神・大己貴神・八重事代主神・瀬織津比売神・速秋津比売神・気吹戸神・速佐須良比売神・表筒男神・中筒男神・底筒男神の十七柱も祀り、合計二十二柱を祀っています。
*参考・・・登彌神社(アクセス・見どころ・・・)

【登彌神社 見どころ・文化財】
登彌神社の見どころは2020年(令和2年)4月に登録有形文化財に登録された本殿・拝殿・神饌所・手水舎などの社殿です。本殿は棟札によると江戸時代後期の1824年(文政7年)に境内の最も奥の一段高い位置に建立されています。本殿は同規模・同形式の一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)が2棟並んで建立されています。拝殿は1799年(寛政11年)に本殿の南側に建立され、1939年(昭和14年)に解体・改修されました。神饌所・社務所は滋賀県で寺社の修理に携わった西本光三郎の設計により、新築されました。手水舎は1939年(昭和14年)に旧表門を移転・改築して建立されました。

【登彌神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0742-22-3900(奈良市観光協会)

【登彌神社 おすすめ散策ルート】
登彌神社から東側の三松寺を散策するのがおすすめです。なお周辺にはあまり観光スポットがないことから次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。

【登彌神社 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場なし。

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