発志禅院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
発志禅院
発志禅院(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。発志禅院ゆかりの本多忠常は1661年(寛文元年)に本多忠義の六男として生まれ、その後従五位下・能登守に叙位・任官され、1695年(元禄8年)に兄で、郡山藩初代藩主・本多忠平が亡くなると家督を継ぎました。
【発志禅院 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県大和郡山市外川町128
最寄り駅・バス停・・・奈良工専(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄橿原線・近鉄郡山駅からバス・矢田寺行き
路線・時刻表・運賃チェック
【発志禅院 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【発志禅院 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【発志禅院 歴史・簡単概要】
発志禅院(はっしぜんいん)は奈良県大和郡山市外川町にあります。発志禅院は江戸時代(1603年~1868年)中期の1709年(宝永6年)4月17日に大和国郡山藩2代藩主・本多忠常(ほんだただつね)が49歳で亡くなり、養子・本多忠直(ほんだただなお)が永代供養の菩提寺(ぼだいじ)に王竜寺(王龍寺・奈良二名町)の住職・古篆(こてん)を開山に創建したと言われています。本多忠常は1695年(元禄8年)に兄で、郡山藩初代藩主・本多忠平が亡くなると郡山藩2代藩主になったが、その後の城下町の大火・江戸屋敷の火災・京都御所の造営などにより、藩財政が窮乏化し、1707年(宝永4年)に兄・本多忠晴の長男・本多忠直を養子とし、1709年(宝永6年)に亡くなりました。古篆は方丈・庫裡・北門を建立し、その後本堂・山門も建立したが、新たな寺号を付けることを許されませんでした。その後平群郡椎木村にあった黄檗宗(おうばくしゅう)の発志院が郡山柳6丁目に移り、真言宗(しんごんしゅう)の松栄寺に改められたことから寺号・発志院を貰い受けました。
発志禅院は黄檗宗の寺院です。
*参考・・・発志禅院(アクセス・見どころ・・・)
【発志禅院 見どころ・文化財】
発志禅院の見どころは本多忠常の墓(市指定文化財)です。本多忠常の墓は丘陵の名前から歌ヶ崎廟(うたがさきびょう)と称しています。 歌ヶ崎廟は入口に石の扉をつけた門があり、大きな亀の台の背中に石碑が立てられ、碑面に本多忠常の経歴が刻銘されています。ちなみに亀は目の部分に金の眼玉がはめ込まれていました。文章は大学頭・林信篤(はやしのぶあつ・林鳳岡(はやしほうこう))の撰で、格調の高い漢文で書かれています。同文は6枚の銅板に刻まれ、墓の中に収められているそうです。
【発志禅院 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0743-53-5701(発志禅院)
【発志禅院 おすすめ散策ルート】
発志禅院では少し距離がるが、北西に位置する大和民俗公園を散策するのがおすすめです。なお周辺にはあまり観光スポットがないことから次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。
【発志禅院 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場あり。












