久米寺の梅見ごろ2025(時期:1月下旬~3月上旬頃)
久米寺の梅見ごろ・アクセス・概要
久米寺の梅見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。久米寺の梅見ごろは例年1月下旬頃から3月上旬頃です。久米寺では北側の山門近くなど境内に紅梅・白梅・五色梅など約数十本が植えられ、梅と本堂・多宝塔などの光景が美しいと言われています。ちなみに久米寺北側には近鉄南大阪線が走り、電車と梅を一緒に見たり、写真撮影したりすることができます。(詳細下記参照)
【久米寺の梅見ごろ(例年時期)】
久米寺の梅見ごろは例年1月下旬頃から3月上旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
奈良梅名所・梅見ごろ
【久米寺梅 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県橿原市久米町502
最寄り駅・バス停・・・橿原神宮前駅(徒歩約4分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄南大阪線・近鉄橿原線・近鉄吉野線
路線・時刻表・運賃チェック
【久米寺の梅見ごろ(例年時期) 概要】
久米寺は奈良の梅の名所です。久米寺の梅見ごろは例年1月下旬頃から3月上旬頃です。
久米寺では北側の山門近くなど境内に紅梅・白梅・五色梅など約数十本が植えられ、梅と高さ約14.5メートルの多宝塔(重要文化財)・本堂・金色に輝く大日如来像などの光景が美しいと言われています。ちなみに久米寺北側には近鉄南大阪線が走り、電車と梅を一緒に見たり、写真撮影したりすることができます。久米寺には淡いピンクの椿や白い雪柳も植えられ、梅と一緒に楽しめる時期もあります。
●多宝塔は江戸時代前期(1615年~1660年)に京都・仁和寺に建立され、1659年(万治2年)に仁和寺から大塔跡に移築されました。1987年(昭和62年)に解体修理が行われ、現在の場所に移されました。多宝塔は三間多宝塔の栩葺(とちぶき)です。
●本堂は江戸時代前期の1663年(寛文3年)に建立されました。本堂は眼病に霊験あらたかと言われる薬師如来坐像を本尊として安置しています。本堂は入母屋造の本瓦葺です。大日如来は真言密教の教主で、宇宙の実相を仏格化した根本仏とされています。大日如来は太陽神が起源とされ、宇宙の根元で、諸仏・諸菩薩の本地とされています。大日如来は真言宗の宗祖である弘法大師・空海が密教とともに中国・唐から日本に伝えました
●梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木で、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。
【久米寺 歴史・簡単概要】
久米寺は594年(推古天皇2年)に第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子の弟・来目皇子が創建したとも言われています。来目皇子が幼少の頃に眼病によって両目を失明したが、聖徳太子のお告げにより、病を癒す薬壷を持って医王如来とも言われる薬師如来に祈願したところ平癒したと言われています。それ以来、来目皇子は自ら来目皇子と称したとも言われています。その後真言宗の宗祖である弘法大師・空海が塔から真言宗の根本経典のひとつである大日経を感得(発見)したも言われています。1663年(寛文3年)に本堂が建立されました。なお久米寺には久米仙人が創建したという伝説が残されています。久米仙人は仙術で空を飛べたが、川で洗濯する女性のふくらはぎに見とれて法力を失い、地上に落ちました。久米仙人は女性と結婚して暮らしていが、天皇が遷都を行う際に労働者に雇われ、材木などを運んでいました。ある時仲間から仙術を使って材木などを一気に運んだらと揶揄われ、7日7晩祈り続けると法力が回復し、仙術で材木などを運びました。喜んだ天皇は久米仙人に免田を与え、久米寺を創建したと言われています。
*参考・・・久米寺(アクセス・見どころ・・・)wikipedia
【久米寺梅 備考】
久米寺(アクセス・見どころ・・・)情報