登彌神社粥占い2025年2月1日(農作物の豊凶)
登彌神社粥占い
登彌神社粥占い(日程・・・)を紹介しています。粥占いは例年2月1日に行われています。粥占いでは五穀・野菜などの農作物の豊凶を占います。粥占いでは竹筒の米と小豆の詰まり具合から上・中・下の3段階、更にそれを上・中・下の3段階に分けた合計9段階で占います。ちなみに粥占い後には参拝者に小豆粥が振る舞われるそうです。(要確認)(詳細下記参照)
【登彌神社粥占い2025 日程時間(要確認)】
登彌神社粥占い2025は2025年(令和7年)2月1日(土曜日)7:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・奈良市役所ホームページ
【登彌神社粥占い アクセス・マップ】
場所・・・奈良県大和郡山市額田部寺町36
最寄り駅・バス停・・・木島(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄郡山駅からバス・若草台行き
路線・時刻表・運賃チェック
【登彌神社粥占い 歴史・簡単概要】
登彌神社粥占い(かゆうらない)・筒粥祭(つつかゆまつり)は奈良時代に始まったとも、元禄年間(1688年~1703年)に始まったとも言われています。ちなみに大釜には1695年(元禄8年)の銘があることから元禄年間までには既に始まっていたとも言われています。粥占いでは五穀・野菜などの農作物の豊凶を占います。なお粥占いは奈良市の無形民俗文化財に指定されています。
粥占いでは先ず境内に設置された大釜に米・小豆・水とスダレ状にくくった数十本の竹筒(長さ約センチ)を入れ、2時間ほど煮て小豆粥を作ります。小豆粥が出来上がると拝殿で祝詞奏上などの神事が行われます。神事終了後、竹筒を小刀で割り、米と小豆の詰まり具合から上・中・下の3段階、更にそれを上・中・下の3段階に分けた合計9段階で占います。ちなみに現在は37品目の農作物の豊凶を占っているそうです。ちなみに粥占い後には参拝者に小豆粥が振る舞われるそうです。(要確認)
小豆粥は赤飯と同じく、ハレの日に食べる食べ物とされています。小豆粥はその色から桜粥・紅調粥(うんじょうしゅく)とも言われています。小豆の「あ」は赤を意味するそうです。なお小豆は縄文遺跡からも発掘され、日本最古の歴史書・古事記にも記されています。高天原(たかまのはら)から追放された素戔嗚尊(すさのおのみこと)がお腹が空いた際、オオゲツヒメと出会い、オオゲツヒメが差し出した食べ物を汚いものと勘違いし、オオゲツヒメを斬り殺してしまいます。 そのオオゲツヒメの亡骸から小豆・大豆・稲・粟・麦の五穀が芽生えたとされています。
【登彌神社 歴史・簡単概要】
登彌神社(とみじんじゃ)・登弥神社は起源が明確ではありません。登彌神社は初代・神武天皇が大和を平定した後、鳥見山中(とりみや・とみやま)に皇祖神(こうそしん)を祀り、神恩感謝の祭祀を行った場所とも言われています。神武天皇は45歳で日向を出発し、瀬戸内海を東進して大和一帯を平定し、紀元前660年(神武天皇元年)に大和畝傍橿原宮で即位したと言われています。神武天皇の祖祖父・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は祖母・天照大神(あまてらすおおみかみ)から「豊葦原の瑞穂国はわが子孫の君たるべき国なり」と言われたとも言われています。また登彌神社は神武天皇による大和平定の際に功績があった登美連が先祖や全ての神々である天神地祇(てんじんちぎ)を祀ったのが起源とも言われています。登彌神社は地名から木嶋明神(このしまみょうじん)とも言われていたそうです。なお登彌神社は高皇産霊神(たかみすみのかみ)・誉田別命(ほんだわけのみこと)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)・登美饒速日命(とみのにぎはやひのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀っています。
*参考・・・登彌神社ホームページ
【登彌神社粥占い 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
登彌神社(アクセス・見どころ・・・)情報