法隆寺の桜見ごろ2025(時期:3月下旬~4月上旬頃)
法隆寺の桜見ごろ・アクセス・概要
法隆寺の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。法隆寺の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。法隆寺では枝垂桜・染井吉野・山桜・里桜などの桜の木が植えられ、桜と夢殿などの伽藍・池などの光景が美しいと言われています。夢殿近くには枝垂桜が植えられ、西院廻廊の東出口や大講堂の西側、そして東大門付近の桜並木が美しいと言われています。(詳細下記参照)
【法隆寺の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
法隆寺の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から奈良の桜開花・満開・見ごろ情報を発信します。
奈良桜見ごろ2025
【法隆寺桜 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
最寄り駅・バス停・・・法隆寺駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR関西本線
*JR法隆寺駅からバス・法隆寺門前行きの場合、法隆寺門前
*JR王寺駅からバス・春日大社奈良行きの場合、法隆寺前
*近鉄奈良駅からバス・JR王寺駅行きまたはバス・法隆寺行きの場合、法隆寺前
路線・時刻表・運賃チェック
【法隆寺の桜見ごろ(例年時期) 概要】
法隆寺は桜の名所です。法隆寺の桜見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。
法隆寺では枝垂桜(シダレザクラ)・染井吉野(ソメイヨシノ)・山桜(ヤマザクラ)・里桜(サトザクラ)などの桜の木が植えられ、桜と夢殿(国宝)などの伽藍・池などの光景が美しいと言われています。夢殿近くには枝垂桜が植えられ、西院廻廊(国宝)の東出口や大講堂(国宝)の西側、そして東大門(国宝)付近の桜並木が美しいと言われています。
●夢殿は739年(天平11年)に行信僧都(ぎょうしんそうず)が聖徳太子を偲び、聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮(いかるがのみや)の旧地に建立した言われています。夢殿は厨子(ずし)に聖徳太子の等身像と言われている救世観音像(国宝)を安置しています。
●西院廻廊は7世紀後半の飛鳥時代に建立されたが、大講堂近くの折れ曲がり部分より北側は平安時代に建立されたそうです。回廊は廊下だけでなく、聖域を区切る役割もあるそうです。
●大講堂は925年(延長3年)に鐘楼とともに落雷によって焼失し、その後990年(正暦元年)に再建されたと言われています。大講堂は本尊・薬師三尊像(国宝)や四天王像(重要文化財)を安置しています。
●東大門は奈良時代に建立されました。ただ東大門はかつて鏡池の東に南向きに建立されたが、平安時代に現在の場所に移されたとも言われています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)・法隆寺見どころ(東院伽藍等)
●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ
【法隆寺 歴史・簡単概要】
法隆寺は銅造薬師如来坐像(国宝)の光背銘によると第31代・用明天皇が自らの病気平癒を祈願する為に発願したが、実現しないまま崩御し、607年(推古天皇15年)に第33代・推古天皇と第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子が遺志を引き継いで創建したのがも起源と言われています。また聖徳太子が父・用明天皇の為に発願したのが起源とも言われています。聖徳太子は日本最古の正史「日本書紀」によると601年(推古天皇9年)に大和平野を見渡す斑鳩の里に斑鳩宮を造営することを決意し、605年(推古13年)に飛鳥から斑鳩宮に移り住んだとも言われています。643年 (皇極2年) に聖徳太子の子・山背大兄王が蘇我氏に襲撃されて斑鳩宮で自害し、聖徳太子一族は滅亡しました。法隆寺は670年(天智9年)に焼失したが、その後再建され、693年(持統7年)に仁王会が行われたとも言われています。739年(天平11年)に行信僧都が聖徳太子を偲び、斑鳩宮の旧地に夢殿(国宝)を建立した言われています。その後慶長年間(1596年~1615年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が伽藍を修造し、江戸時代に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍を修造しました。
*参考・・・奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【法隆寺桜 備考】
奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)情報