紙半豊田記念館(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
紙半豊田記念館
紙半豊田記念館(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。紙半豊田記念館がある今井町はかつて興福寺の荘園で、天文年間(1532年~1555年)に今井兵部卿豊寿が創建した称念寺(本願寺の今井道場)の寺内町が形成され、その後「大和の金は今井に七分」と言われるほど繁栄しました。
【紙半豊田記念館 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県橿原市今井町3丁目9-11
最寄り駅・バス停・・・大和八木西口駅(徒歩約14分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄橿原線
*JR桜井線の場合、JR畝傍駅(徒歩約16分)
*近鉄大阪線の場合、大和八木駅(徒歩約18分)
路線・時刻表・運賃チェック
【紙半豊田記念館 拝観時間・時間(要確認)】
10:30~16:30(受付16:00)
年末年始(12月28日~1月4日)は休館
【紙半豊田記念館 拝観料金・料金(要確認)】
一般300円、高校生150円、中学生以下無料
【紙半豊田記念館 歴史・簡単概要】
紙半豊田記念館(かみはんとよたきねんかん)は奈良県橿原市今井町にあります。紙半豊田記念館は江戸時代(1603年~1868年)から明治時代(1868年~1912年)に収集・使用された古美術品などを収蔵・展示されている今井町唯一の資料館です。豊田本家は戦国時代(1493年~1590年)の天文年間(1532年~1555年)に今井兵部卿豊寿が称念寺(本願寺の今井道場)を創建し、町造りを始めた頃から肥料・綿・油・木綿を生業としていたと言われています。豊田本家は代々「紙屋半三郎」を襲名し、屋号から「紙半」で通っていました。その後江戸時代初期には既に大和(奈良)では押しも押されぬ肥料大問屋になり、6代目・紙屋半三郎は両替商を営み、大名貸で豪商の基盤を築きました。また5代目と6代目・紙屋半三郎は大和綿を取り扱って相当の財を成しました。豊田本家から諸大名への金融や全国の寺社への寄進の記録が残され、茶人・今井宗久(いまいそうきゅう)の茶室もあったとも言われています。また紙屋半三郎は工芸美術品の収集しました。江戸時代後期の文化年間(1804年~1818年)に大和綿が暴落し、油商に転じたが、今井町の衰退と同時期に豊田本家も衰微しました。ただ収集していた古美術の相当数は代々受け継がれ、その後紙半豊田記念館の開設されました。ちなみに豊田本家は敷地約350坪・建坪約150坪で、昔は紙六・紙七・紙佐という分家が両側に並んでいたが、現在は東隣りに元和年間(1615年~1624年)に分家になった紙七豊田家が残されています。なお紙半豊田記念館にはカフェ&お食事処が併設されています。
*参考・・・紙半豊田記念館(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)ホームページ
【紙半豊田記念館 見どころ・文化財】
紙半豊田記念館の見どころは展示されている古美術品などです。古美術品や商家の家具・婚礼調度品にはがん灯(江戸時代後期)・嫁入籠(江戸時代幕末)・金箔襖(江戸時代後期)・結界(江戸時代中期)・硯蓋蒔絵(江戸時代)・古伊万里蓋物(江戸時代)・五月雨屏風(江戸時代)・黒塗蒔絵重箱(江戸時代)・蒔絵煙草盆(江戸時代中期)・蒔絵香の盆(江戸時代)・蒔絵文箱(江戸時代中期)・錫製茶壷(江戸時代後期)・小袖(江戸時代後期)・大名貸証文(江戸時代の天明年間)・天目茶碗天目台(江戸時代中期)・六歌仙額(江戸時代)・脇息(江戸時代)・屏風(江戸時代中期)・蝶足膳(江戸時代中期)・双六(平安時代)などがあります。
【紙半豊田記念館 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0744-24-0348(紙半豊田記念館)
【紙半豊田記念館 おすすめ散策ルート】
紙半豊田記念館では今井町を散策するのがおすすめです。今井町は江戸時代に「大和の金は今井に七分」と言われるほど栄え、町内には旧家が残されています。また今井町の発展の基礎となった称念寺(稱念寺・今井御坊)を散策するのもおすすめです。
【紙半豊田記念館 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場なし。