音羽山観音寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
音羽山観音寺
音羽山観音寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。音羽山観音寺はNHK・Eテレで放送されている「やまと尼寺精進日記」の舞台として知られています。「やまと尼寺精進日記」では住職・後藤密栄(ごとうみつえい)、副住職・佐々木慈瞳(ささきじとう)、お手伝いのまっちゃん、そして番犬のオサムやネコのトラが登場し、精進料理などが紹介されています。
【音羽山観音寺 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県桜井市大字南音羽832
最寄り駅・バス停・・・下居(おりい)
アクセス路線は次の通りです。
*JR・近鉄桜井駅からバス・談山神社行き
路線・時刻表・運賃チェック
【音羽山観音寺 拝観時間・時間(要確認)】
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【音羽山観音寺 拝観料金・料金(要確認)】
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【音羽山観音寺 歴史・簡単概要】
音羽山観音寺(おとわやまかんのんじ)は標高約800メートルの音羽山中腹に建立されたいます。音羽山観音寺は起源が明確ではありません。音羽山観音寺は寺伝によると飛鳥時代の678年(天武天皇7年)に藤原氏の祖・藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり)の長男で、僧・定慧(じょうえ・中臣真人(なかとみのまひと))が多武峰妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)を創建した際に鬼門(丑寅)除けの寺として創建し、藤原鎌足自作の梅の木の観音像を祀ったのが起源とも言われています。ちなみに多武峰妙楽寺は定慧が父・藤原鎌足の墓を摂津安威(阿武山古墳・あぶやまこふん)から奈良大和に移し、十三重塔を建立したのが起源と言われています。多武峰妙楽寺は明治維新後の神仏分離(廃仏毀釈)によって僧侶が還俗し、談山神社(たんざんじんじゃ)に改められました。また音羽山観音寺は多武峰略記(とうのみねりゃくき)によると奈良時代の749年(天平寛宝元年)に心融法師が創建したとも言われています。更に音羽山観音寺は奈良時代頃から平安時代初期頃に京都・音羽山清水寺(きよみずでら)の開基・延鎮上人(えんちんしょうにん)・賢心(けんしん)が霊感を得て堂宇を建立したのが起源とも言われ、本尊の体内(頭部)に「比の本尊は山城の国清水寺の観音と一体分身の千手観音也」との墨書きが残されていました。音羽山観音寺は奈良時代の観音信仰とともに霊場として栄え、壮大な堂宇が軒を連ねて音羽百坊とも称されました。しかし876年(貞観18年)の音羽流れとも言われる豪雨と山津波で多くの堂宇が崩壊して衰退したとも言われています。その後江戸時代に再興されたとも言われています。音羽山観音寺は本尊・先手千顔十一面観世音菩薩に眼病平癒に霊験があると言われ、「音羽の観音さん」と親しまれています。ちなみに音羽山観音寺はかつて香法寺・善法寺とも言われていたそうです。
音羽山観音寺は融通念仏宗の寺院です。
*参考・・・音羽山観音寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・音羽山観音寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【音羽山観音寺 見どころ・文化財】
音羽山観音寺の見どころは推定樹齢500年とも言われる高さ約25メートルのお葉付きイチョウ(奈良県指定文化財)です。お葉付きイチョウの木(オハツキイチョウ・御葉付きイチョウ)は扇状の葉の上に銀杏(ぎんなん)の実がなり、種子植物なのにシダ植物の特徴を持っています。ちなみにイチョウは中国原産で、裸子植物門イチョウ綱イチョウ目イチョウ科イチョウ属に属する植物です。また平安時代初期の796年(延暦15年)頃に鋳造され、眼病平癒に霊験があるとも言われる本尊・先手千顔十一面観世音菩薩も見どころです。本尊の台座からは皇朝十二銭のひとつである銭貨・隆平永宝(りゅうへいえいほう)が多量に出土しました。
【音羽山観音寺 連絡先】
電話番号・・・0744-46-0944(音羽山観音寺)
【音羽山観音寺 おすすめ散策ルート】
音羽山観音寺近くには観光スポットがあまりなく、次の観光スポットに向かうのがいいかもしれません。
【音羽山観音寺 備考(駐車場・御朱印・・・)】
駐車場なし。
*参考・・・音羽山観音寺アクセス