芳徳寺桜見ごろ2025(時期:4月中旬頃)

芳徳寺桜見ごろ(見頃)

芳徳寺桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。桜見ごろは例年4月中旬頃です。芳徳寺は周辺に約200本の染井吉野(ソメイヨシノ)などの桜の木が植えられ、桜と山門・参道・白壁などの光景が美しいと言われています。なお芳徳寺南側の柳生陣屋跡では例年桜が見ごろを迎える時期に柳生さくら祭が行われています。(詳細下記参照)

【芳徳寺桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予想】
芳徳寺の桜見ごろは例年4月中旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から奈良の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。
奈良桜見ごろ2025

【芳徳寺桜 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市柳生下町445
最寄り駅・バス停・・・柳生(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス・柳生邑地中村行き
路線・時刻表・運賃チェック

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【芳徳寺桜見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
芳徳寺は桜の名所です。芳徳寺の桜見ごろは例年4月中旬頃です。
芳徳寺は周辺に約200本の染井吉野(ソメイヨシノ)などの桜の木が植えられ、桜と山門・参道・白壁などの光景が美しいと言われています。ちなみに芳徳寺周辺にはかつて約500本の桜の木が植えられていたが、その後桜の木の多くが枯れ、2014年(平成26年)頃から柳生観光協会が桜の木の植樹を行っているそうです。なお芳徳寺南側の柳生陣屋跡では例年桜が見ごろを迎える時期に柳生さくら祭が行われています。
旧柳生藩陣屋跡は1980年(昭和55年)6月に柳生藩主の居所跡を史跡公園として整備したものです。柳生藩陣屋は江戸時代前期の1642年(寛永14年)に徳川将軍家の兵法指南役で、大和柳生藩初代藩主・柳生宗矩(やぎゅうむねのり)が3年を掛けて建てました。その後柳生宗矩の三男で、第3代藩主・柳生宗冬(やぎゅうむねふゆ)が増改築したが、1747年(延享4年)の火災によって焼失し、その後仮建築のまま明治維新を迎えたとも言われています。
桜(染井吉野)は2月1日以降の最高気温(毎日)の合計が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。また地域によって若干差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開になるとも言われています。なお奈良では奈良地方気象台の移転により、現在奈良女子大付属中等教育学校の染井吉野が標準木とされ、5~6輪以上咲くと開花宣言が出されます。
●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ

【芳徳寺 歴史・簡単概要】
芳徳寺(ほうとくじ)・芳徳禅寺(ほうとくぜんじ)は江戸時代前期の1638年(寛永15年)に徳川将軍家の兵法指南役で、大和柳生藩初代藩主・柳生宗矩(やぎゅうむねのり)が父で、新陰流第2世・柳生宗厳(やぎゅうむねよし・石舟斎)の菩提を弔う為に大徳寺住持・沢庵宗彭(たくあんそうほう)を開山として柳生城跡に創建したと言われています。柳生氏は元々中宮寺(ちゅうぐうじ)に弔われていたが、芳徳寺に改葬されて柳生藩主・柳生氏の菩提寺になりました。芳徳寺には柳生藩主・柳生氏一族代々の墓石が80基余りあり、本尊である釈迦三尊像・柳生宗矩坐像・沢庵和尚坐像などを安置する本堂とともに奈良市の文化財に指定されています。ちなみに柳生城は南北朝時代に築城されたが、1544年(天文13年)に筒井順昭(つついじゅんしょう)に攻められて落城したそうです。柳生宗矩の没後に柳生宗矩の遺領200石が芳徳寺に分与されたが、1711年(宝永8年)の火災によって焼失し、1714年(正徳4年)に再建されました。明治維新後の柳生藩廃藩後に荒廃し、山門・梵鐘などが売却され、明治時代末期に一時無住となったが、1922年(大正11年)に柳生家の末裔・柳生一義(やぎゅうかずよし)の遺産が遺贈され、本堂が再建されました。1928年(昭和3年)に境内に大和青少年道場(成美学寮)が開設されました。
芳徳寺は臨済宗大徳寺派の寺院です。
*参考・・・芳徳寺・芳徳禅寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【芳徳寺桜 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
芳徳寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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