菊岡漢方薬局(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
菊岡漢方薬局
菊岡漢方薬局(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。菊岡漢方薬局があるならまち(奈良町)は元々世界遺産である元興寺(がんごうじ)の境内だったが、1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討で被害を受け、その後筆・墨・刀・酒・醤油などの産業が発展し、江戸時代に商工業都市が形成されました。また江戸時代に猿沢池周辺がお伊勢参りの宿場町として栄えました。
【菊岡漢方薬局 アクセス・地図】
場所・・・奈良県奈良市中新屋町3
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
*JR奈良線・奈良駅(徒歩約20分)
路線・時刻表・運賃チェック
【菊岡漢方薬局 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~19:00
月曜日は定休日
【菊岡漢方薬局 拝観料金・料金(要確認)】
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【菊岡漢方薬局 歴史・簡単概要】
菊岡漢方薬局(きくおかかんぽうやっきょく)は平安時代末期の1184年(元暦元年)から24代に渡って漢方薬を扱っています。菊岡家は元々藤原氏の一族でだったそうです。800年程前の平安時代末期に朝日将軍(あさひしょうぐん)とも言われた木曾義仲(きそよしなか・源義仲(みなもとのよしなか))の室・栄松院殿(えいしょういんどの)は世の中の多くの病人を憐れんで妙薬を求め、学徳の誉高い唐馬騰氏に薬学を学び、伝授された漢方薬が菊岡家に伝えられました。1184年(寿永3年)に木曾義仲が近江国粟津で討ち死にすると栄松院殿は子どもである淨源・叡尊を連れ、大和国白土を居城した白土家に逃れ、淨源が白土家を継ぎました。室町時代中期の1480年(文明12年)に居を三条通に移し、朝廷から都官府衆徒の重職に任ぜられ、春日大社・興福寺の守護と奈良町の治安に当たりました。また薬学を研究し、多くの病人に施薬を行って難病に苦しむ人達を救いました。その後室町時代後期の永正年間(1504年~1521年)に白土法眼胤英が菊花を愛し、第104代・後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)に献上するとその賞に「菊岡」の姓と裏菊の紋を賜り、性を白土から菊岡に改めました。戦国時代(室町時代後期)に菊岡宰相宗政は強弓の達人だったが、その後仏門に入って禅照庵を建立し、多くの病人を救い、朝廷から紫雲山西照寺という山号・寺号を賜り、江戸幕府初代将軍・徳川家康から家康院という院号を贈られました。明治維新後に漢方薬を生業とすることになり、2002年(平成14年)秋に520年間親しんだ三条通からならまち(奈良町)に移りました。なお菊岡漢方薬局は陀羅尼助(だらにすけ)などを取り扱っています。
*参考・・・菊岡漢方薬局(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【菊岡漢方薬局 見どころ・文化財】
菊岡漢方薬局の見どころは店舗の外観です。菊岡漢方薬局と地蔵尊はならまち(奈良町)を代表する景観とも言われています。
【菊岡漢方薬局 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0742-22-6611(菊岡漢方薬局)
【菊岡漢方薬局 おすすめ散策ルート】
菊岡漢方薬局からは北側にある元興寺・猿沢池・興福寺を散策するのがおすすめです。またならまち(奈良町)にある庚申堂・御霊神社・十輪院・元興寺塔跡などを散策するのもおすすめです。
【菊岡漢方薬局 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場なし。
*参考・・・菊岡漢方薬局アクセス