春日若宮おん祭南大門交名の儀2025年12月17日(興福寺への敬意)

春日若宮おん祭南大門交名の儀
春日若宮おん祭南大門交名の儀(日程・・・)を紹介しています。南大門交名の儀は例年12月17日に行われています。南大門交名の儀では南大門跡で興福寺への敬意を表すとともにお渡り式に遺漏が無いかを確認します。御師役(おしやく)の大和士(やまとざむらい)は名前を列記した交名を声高らかに読み上げたり、馬長児は僧位僧官を名乗ったりします。(詳細下記参照)
●春日若宮おん祭2025最新情報
【春日若宮おん祭南大門交名の儀2025 日程時間(要確認)】
春日若宮おん祭南大門交名の儀2025は2025年(令和7年)12月17日(水曜日)12:50頃から行われます。(現在確認中・要注意)
春日若宮おん祭2025日程
【春日若宮おん祭南大門交名の儀・興福寺南大門跡 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市登大路町48
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
*JR奈良駅から市内循環バスの場合、県庁前(徒歩すぐ)
路線・時刻表・運賃チェック
【春日若宮おん祭南大門交名の儀 歴史・簡単概要】
春日若宮おん祭(かすがわかみやおんまつり)・南大門交名の儀(なんだいもんきょうみょうのぎ)は春日大社の実権を握っていた時期があり、春日若宮おん祭の主催権を持っていた興福寺(こうふくじ)の南大門跡で行われます。南大門交名の儀では興福寺への敬意を表すとともにお渡り式に遺漏が無いかを確認します。御師役(おしやく)の大和士(やまとざむらい)は名前を列記した交名を声高らかに読み上げたり、馬長児(ばちょうのちご)は僧位僧官を名乗ったりします。ちなみに古来お渡り式は興福寺内を出発してから一之鳥居までを下の渡り、一之鳥居からお旅所までを上の渡りと言い、南大門交名の儀が下の渡りの中心的な行事だったそうです。南大門交名の儀では読み違いがあったり、不作法があったりすると再度引き返してやり直したという故実も残っているそうです。
興福寺は669年(天智天皇8年)藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の妻・鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・鎌足の病気平癒の祈願の為、鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺(やましなでら)を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。
*参考・・・春日若宮おん祭・春日大社ホームページ
【春日若宮おん祭 歴史・簡単概要】
春日若宮おん祭は1135年(保延元年)に若宮神社が造営され、翌1136年(保延2年)9月17日に行われた例祭が起源です。若宮神社が造営され、その霊験により、大雨・洪水は収まって晴天が続いたことから五穀豊穣・万民安楽を祈願する例祭が行われるようになりました。ちなみに春日若宮おん祭は一度も途切れることなく行われているそうです。なおおん祭で奉納される猿楽・雅楽・舞楽などの奉納芸能は1979年(昭和54年)に春日若宮おん祭の神事芸能として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
【興福寺南大門跡 歴史・簡単概要】
興福寺南大門跡は中金堂の南側に位置しています。南大門は興福寺の正門でした。南大門は奈良時代(710年~794年)前期に創建されたと言われています。714年(和銅7年)3月に金堂が創建され、南大門は同時期またはその後に創建されたと言われています。その後度々焼失しと再建を繰り返し、1349年(正平4年)に7代目・南大門が再建されました。その後1717年(享保2年)にも焼失し、それ以後南大門は再建されていません。2012年(平成24年)に南大門跡に基壇が復元されました。なお南大門は重層5間3戸で、入母屋造で、金剛力士像(仁王像)が安置されていました。
【春日若宮おん祭南大門交名の儀 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
興福寺南大門跡(アクセス・見どころ・・・)情報