大直禰子神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

大直禰子神社

大直禰子神社(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。大直禰子神社はかつて大神神社(三輪明神)の神宮寺で、木心乾漆十一面観音立像(国宝)を祀っていました。しかし明治維新の神仏分離令により、木心乾漆十一面観音立像は聖林寺(桜井市下692)に移されました。

【大直禰子神社 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県桜井市三輪177
最寄り駅・バス停・・・三輪駅(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR桜井線
路線・時刻表・運賃チェック

【大直禰子神社 拝観時間・時間(要確認)】
自由

【大直禰子神社 拝観料金・料金(要確認)】
無料

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【大直禰子神社 歴史・簡単概要】
大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)は奈良県桜井市三輪にあります。大直禰子神社は大神神社(おおみわじんじゃ)の摂社で、若宮社とも言われています。大直禰子神社は第10代・崇神天皇(すじんてんのう)の時代(紀元前97年~紀元前30年)に疫病が大流行し、崇神天皇の夢に大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が現れ、「わが児の大田田根子(おおたたねこ・大直禰子命)に私を祀らせたならば国は平安になる」と告げ、崇神天皇が現在の大阪府堺市付近である茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)で大直禰子命(大田田根子)を見出され、大物主大神を祀る神主にされ、疫病が治まって国が栄えたのが起源とも言われています。神仏習合(しんぶつしゅうごう)の奈良時代(710年~794年)後期に大神寺(おおみわでら)が創建され、その後鎌倉時代(1185年~1333年)に寺号が大御輪寺(だいごりんじ)に改められたとも言われています。大御輪寺は平等寺(びょうどうじ)・浄願寺(じょうがんじ)とともに大神神社(三輪明神)の神宮寺でした。なお大直禰子神社は若宮様とも言われる大直禰子命を祀っています。また少彦名命(すくなひこなのみこと)・活玉依姫命(いくたまよりひめのみこと)を配祀しています。
*参考・・・大直禰子神社(アクセス・見どころ・・・)

【大神神社 歴史・簡単概要】
大神神社は日本最古の歴史書「古事記」・日本最古の正史「日本書紀」によると国造りを行っていた出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に国作りに協力すると大国主神の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である大物主大神が現れ、「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と言って、三輪山に祀られたのが起源とも言われています。大神神社は古来本殿を設けず、直接ご神体である三輪山に祈願していたことから国内最古の神社とも言われています。大神神社は古来から朝廷に崇敬され、859年(貞観元年)に神階・正一位が与えられました。1664年(寛文4年)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱の寄進によって拝殿が建立しました。なお大神神社は大物主大神を主祭神に祀り、大己貴神(おおなむちのかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)を配神にしています。
*参考・・・大神神社(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【大直禰子神社 見どころ・文化財】
大直禰子神社の見どころは重要文化財に指定されている社殿です。社殿は室町時代(1336年~1573年)の姿に復原されているが、奈良時代(794年~1185年)に大神寺が創建された当初の部材が残されており、神宮寺遺構として最古級とも言われています。社殿は桁行五間・梁間五間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。

【大直禰子神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0744-42-6633(大神神社)

【大直禰子神社 おすすめ散策ルート】
大直禰子神社では大神神社の境内を散策するのがおすすめです。境内には大直禰子神社以外にも摂末社が祀られたり、大美和の杜展望台などがあります。

【大直禰子神社 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場なし。

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