西大寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
西大寺の歴史を時代別年表で紹介。
西大寺の歴史を簡単にまとめています。西大寺は764年(天平宝字8年)に孝謙上皇が藤原仲麻呂の乱の鎮圧を祈願する為、鎮護国家の守護神とされる四天王像の造仏を誓願し、翌765年(天平神護元年)に四天王像を造仏したのが起源と言われています。なお西大寺歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。
【前史(藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱)】
★760年(天平宝字4年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の妻・光明皇后(こうみょうこうごう)が亡くなり、後楯を失った甥・藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ・恵美押勝(えみのおしかつ))・藤原仲麻呂が擁立した第47代・淳仁天皇(じゅんにんてんのう)が孝謙上皇(第46代・孝謙天皇(こうけんてんのう))・孝謙上皇が寵愛した道鏡(どうきょう)と不和になり、藤原仲麻呂が道鏡を除こうと挙兵したが、藤原仲麻呂が近江で敗死し、淳仁天皇が淡路に配流されました。
【西大寺創建(起源・由来)】
★西大寺は奈良時代後期の764年(天平宝字8年)に孝謙上皇(第46代・孝謙天皇)が藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱の鎮圧を祈願する為、「金光明経(こんこうみょうきょう)・4世紀頃成立」などで鎮護国家の守護神とされる四天王(してんのう)像の造仏を誓願し、翌765年(天平神護元年)に孝謙上皇が第48代・称徳天皇(しょうとくてんのう)になって、四天王像を造仏したのが起源とも言われています。その後称徳天皇の勅願により、称徳天皇の父で、第45代・聖武天皇が平城京(へいじょうきょう)の東に東大寺を創建したように平城京の西に僧・常騰を開山として、西大寺が創建されました。780年(宝亀11年)の「西大寺資財流記帳」によると創建当初の西大寺は平城京右京1条3・4坊に位置し、南北7町・東西11町の総計31町歩(約48ヘクタール)という広大な境内に薬師如来(やくしにょらい)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)を安置する両金堂(薬師金堂・弥勒金堂)や東西両塔(五重塔)・四王院・十一面堂院・小塔院・食堂院・正倉院・政所院・東南角院・西南角院などの百以上の堂塔が建立され、南都七大寺(東大寺・興福寺・法隆寺・元興寺・薬師寺・大安寺)にふさわしい壮麗な大伽藍だった言われています。薬師金堂には薬師三尊像を中心に孔雀明王(くじゃくみょうおう)像など合計21体の仏像、弥勒金堂には合計77体もの仏像が安置されていました。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
★794年(延暦13年)の平安京遷都後に西大寺などの南都(奈良)の寺院は朝廷から次第に顧みられなくなり、西大寺も度々災害に見舞われたこともあり、平安時代中期以降に急速に衰退・荒廃したと言われています。
★928年(延長6年)に東塔または西塔が雷火によって焼失したと言われています。
★平安時代末期に東塔の再建が始まり、鎌倉時代に塔供養が行われたと言われています。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
★1235年(文暦2年)に興正菩薩叡尊上人(こうしょうぼさつえいそんしょうにん)が入寺し、西大寺を再興しました。興正菩薩叡尊上人は「興法利生」をスローガンに戒律振興や救貧施療などを推進し、西大寺はその拠点として繁栄しました。西大寺は密・律研修の根本道場になりました。西大寺に現存する仏像・工芸品などは興正菩薩叡尊上人の時代のものが多く残されています。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】
★南北朝時代に「西大寺末寺帳・1391年(元中8年・明徳2年)」によると十数ヶ国の国分寺が西大寺の末寺であったと言われています。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
★1499年(明応8年)に西大寺が細川政元(ほそかわまさもと)の家臣・赤沢朝経(あかざわともつね)によって焼き討ちされました。
★1502年(文亀2年)に火災によって東塔などの伽藍(堂塔)が焼失しました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
★江戸時代に江戸幕府から300石の寺領が寄進され、伽藍(堂塔)が再建され、ほぼ現在の姿になりました。
★1643年(寛永20年)頃に護摩堂(不動堂)が建立されました。
★1674年(延宝2年)に四王堂(観音堂)が再建されました。
★1767年(明和4年)に愛染堂が京都・近衛家(このえけ)から御殿を寄進されて移築・建立されました。
★1798年(寛政10年)頃から本堂の建立が始まり、1808年(文化5年)頃に完成しました。また本堂は寛政年間(1789年~1801年)に完成したとも言われています。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
★1895年(明治28年)に西大寺は真言宗から独立し、真言律宗を開祖しました。同年6月に内務省から真言律宗として独立認可を得ました。
★太平洋戦争後に西大寺は新たな宗教法人法の下で、全国90数ケ寺の末寺を統括する総本山になりました。
★1973年(昭和48年)に大師堂が真言宗の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)生誕1,200年を記念して増改築されました。
【第46代・孝謙天皇(第48代・称徳天皇):西大寺開基】
第46代・孝謙天皇(第48代・称徳天皇)は718年(養老2年)に第45代・聖武天皇と藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后になった光明皇后(光明子)の間に阿倍内親王として生まれました。聖武天皇と光明皇后の間には基王(基皇子)が生まれたが、早世しました。また聖武天皇と県犬養広刀自の間には安積親王が生まれたが、後ろ盾を持たなかったことから阿倍内親王が738年(天平10年)に立太子し、史上唯一の女性皇太子になりました。744年(天平17年)に安積親王が亡くなり、749年(天平勝宝元年)に父の譲位によって即位し、第46代・孝謙天皇になりました。758年(天平宝字2年)に病気の母に仕える為に大炊王(第47代・淳仁天皇)に譲位しました。その後弓削道鏡を寵愛するようになり、孝謙上皇・弓削道鏡と対立した藤原仲麻呂の乱が起こると淳仁天皇が廃帝とされ、第48代・称徳天皇に即位しました。その後弓削道鏡が皇位に就くべしという宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)が起こりました。なお第48代・称徳天皇は770年(神護景雲4年)に崩御しました。
【西大寺 備考】
*参考・・・西大寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ