柿本寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
柿本寺跡
柿本寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。柿本寺跡に建立されていた柿本寺は柿本氏の氏寺だったと言われています。柿本氏は日本最古の歴史書「古事記・712年(和銅5年)編纂」によると第5代・孝昭天皇の皇子・天押帯日子(あめおしたらしひこ)を祖としています。
【柿本寺跡 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県天理市櫟本町2993
最寄り駅・バス停・・・櫟本駅(徒歩約8分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR桜井線
路線・時刻表・運賃チェック
【柿本寺跡 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【柿本寺跡 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【柿本寺跡 歴史・簡単概要】
柿本寺跡(しほんじあと)は奈良県天理市櫟本町にあります。柿本寺は起源が明確ではありません。柿本寺は出土した古瓦(丸瓦・平瓦)から奈良時代に創建されたとも言われています。奈良時代前期の724年(神亀元年)3月18日に亡くなった柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の遺骨を葬ったと言われています。ちなみに柿本人麻呂は官位が低い下級官吏で、地方官になったと言われています。また歌才から宮廷歌人として活躍し、日本最古の和歌集「万葉集(まんようしゅう)」第一の歌人と言われ、三十六歌仙に数えられるだけでなく、後世に山部赤人(やまべのあかひと)とともに「歌聖」と称されました。南北朝時代の1337年(建武4年)に北朝軍が柿本寺や和和爾下神社(わにしたじんじゃ)に陣取り、南朝軍と戦ったと言われています。室町時代までに現在の櫟本小学校の西側に移転したと言われています。江戸時代に多くの学僧を輩出し、和歌や茶の湯などを親しんだと言われています。江戸時代中期の1732年(享保17年)に森本宗範や柿本寺の僧侶らが歌塚を建立しました。「藤原清輔家集」に「大和国石上柿本寺という所の前に人磨呂の塚ありと聞きて卒都婆(そとば)に柿本人丸の塚としるしつけて傍にこの歌をなん書けり、「世を経ても あふべかりける 契こそ 苔の下にも くちせざりけれ」」と記されています。1868年(明治元年)に廃寺になりました。
*参考・・・柿本寺跡(アクセス・見どころ・・・)
【柿本寺跡 見どころ・文化財】
柿本寺跡の見どころは1732年(享保17年)に建立された歌塚です。また日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」に記された影姫の歌を刻んだ石碑も見どころです。更に奈良市学園前町の大和文華館に所蔵されている柿本宮曼茶羅(重要文化財)も見どころです。
【柿本寺跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0743-63-1242(天理市観光協会)
【柿本寺跡 おすすめ散策ルート】
柿本寺跡では南側に位置する正一位人麿大明神・豊川稲荷社を散策するのがおすすめです。また隣接する和爾下神社(上治道宮)を散策するのもいいかもしれません。
【柿本寺跡 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。