西大寺新春大茶盛式2025年1月16日(日程時間・・・)
西大寺新春大茶盛式
西大寺新春大茶盛式(日程・・・)を紹介しています。新春大茶盛式は例年1月16日に行われています。新春大茶盛式では同じ一つの味を全員で味わって結束するという一味和合の精神により、大茶碗に点てたお茶を全員で助け合いながら回し飲みします。新春大茶盛式は戒律の本質である一味和合の理念を具現化した宗教的茶儀です。(詳細下記参照)
【西大寺新春大茶盛式2025 日程時間(要確認)】
西大寺新春大茶盛式2025は2025年(令和7年)1月16日(木曜日)10:00~15:00に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・西大寺ホームページ
【西大寺新春大茶盛式 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
最寄り駅・バス停・・・大和西大寺駅(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
路線・時刻表・運賃チェック
【西大寺新春大茶盛式 歴史・簡単概要】
西大寺新春大茶盛式(おおちゃもりしき)は西大寺中興の祖・叡尊上人(えいそんしょうにん)が1月に行われている修正会(しゅしょうえ)の結願のお礼として、鎌倉時代前期の1239年(延応元年)1月16日に八幡神社(はちまんじんじゃ)に献茶し、余ったお茶を民衆に振る舞ったことに由来しています。叡尊上人は戒律(かいりつ)の復興を志したことから不飲酒戒(ふおんじゅかい)の実践として、酒盛の代わって茶盛になったと言われています。不飲酒戒は不殺生戒(ふせっしょうかい)・不偸盗戒(ふちゅうとうかい)・不邪淫戒(ふじゃいんかい)・不妄語戒(ふもうごかい)とともに五戒(ごかい)とされています。
新春大茶盛式では同じ一つの味を全員で味わって結束するという一味和合(いちみわごう)の精神により、僧侶が直径30センチ以上の大茶碗に点てたお茶を全員で助け合いながら回し飲みします。新春大茶盛式は戒律の本質である一味和合の理念を具現化した宗教的茶儀です。
叡尊上人は1201年(建仁元年)に興福寺の学侶・慶玄の子として大和国添上郡箕田郷で生れました。1217年(建保5年)に醍醐寺の阿闍梨・叡賢に師事して出家し、1224年(元仁元年)に高野山で真言密教を学びました。1235年(嘉禎元年)に戒律の復興を志し、西大寺の宝塔院に入り、翌1236年(嘉禎2年)に円晴・覚盛らとともに東大寺で自誓受戒しました。その後西大寺を拠点として戒律の復興に尽力し、朝野の帰依を受けました。1262年(弘長2年)に北条時頼・北条実時に招かれて鎌倉に下り、北条氏・御家人などに授戒を行ないました。叡尊上人は公武貴賤に戒を授け、非人を救済するなどの社会な活動も行ないました。叡尊上人は「梵網古迹文集」・「感身学正記」などを記しました。なお叡尊上人は1290年(正応3年)9月29日に亡くなりました。
修正会は例年1月に数日間行われる悔過 (けか)の法会です。修正会では昨年を反省し、新年の国家安泰・天下泰平・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願します。
【西大寺 歴史・簡単概要】
西大寺(さいだいじ)は764年(天平宝字8年)孝謙上皇(第46代・孝謙天皇)が藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱の鎮圧を祈願する為、鎮護国家の守護神とされる四天王像の造仏を誓願し、翌765年(天平神護元年)に第48代・称徳天皇となった孝謙上皇が四天王像を造仏したのが起源とも言われています。その後称徳天皇(孝謙上皇)の勅願により、称徳天皇の父で、第45代・聖武天皇が平城京の東に東大寺を創建したように平城京の西に僧・常騰を開山として、西大寺が創建されました。ちなみに鎮護国家の為に四天王像を祀るのは金光明最勝王経に基づくものと言われています。ただ794年(延暦13年)の平安京遷都後には災害に見舞われたし、平安時代中期以降に衰退し、1235年(文暦2年)に入住した興正菩薩叡尊上人が再興しました。しかし1502年(文亀2年)の火災によって伽藍の多くを焼失し、江戸時代に幕府から寄進によって再建されました。なお1895年(明治28年)に真言宗から独立し、真言律宗を開祖しました。
西大寺は真言律宗の総本山です。
*参考・・・西大寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【西大寺大茶盛 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
西大寺(アクセス・見どころ・・・)情報