白毫寺えんまもうで2025年1月16日(日程時間・・・)
白毫寺えんまもうで
白毫寺えんまもうで(日程・・・)を紹介しています。えんまもうでは例年1月16日に行われています。えんまもうででは参拝者の無病息災と長寿を祈願します。閻魔王坐像の前で、僧侶が無病息災・家内安全などの願いごとが書かれた紙を読み上げ、お経を唱えます。えんまもうででは御祈祷・甘酒の接待(要確認)も行われます。(詳細下記参照)
【白毫寺えんまもうで2025 日程時間(要確認)】
白毫寺えんまもうで2025は2025年(令和7年)1月16日(木曜日)10:00から行われます。(現在確認中・要注意)
【白毫寺えんまもうで アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市白毫寺町392
最寄り駅・バス停・・・高畑町(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス
路線・時刻表・運賃チェック
【白毫寺えんまもうで 歴史・簡単概要】
白毫寺えんまもうで(閻魔もうで)は例年1月16日に行われています。1月16日は閻魔さまの縁日とされ、地獄の釜の蓋(ふた)が開いて亡くなった罪人も苦しみから逃れられるとされています。
えんまもうででは参拝者の無病息災と長寿を祈願します。閻魔王坐像(重要文化財)の前で、僧侶が無病息災・家内安全などの願いごとが書かれた紙を読み上げ、お経を唱えます。えんまもうででは御祈祷・甘酒の接待(要確認)も行われます。
閻魔王坐像は鎌倉時代に造仏されたと言われています。閻魔王坐像は寄木造(よせぎづくり)で、像高約118.5センチです。彩色はほとんど剥落しているが、冠と道服を着け、笏(しゃく)を持っています。閻魔王坐像は閻魔堂の本尊とし祀られていたが、現在は宝蔵(収蔵庫)に安置されています。
閻魔は地獄(じごく)・冥界(めいかい)の王で、死者の生前の罪を裁きます。閻魔は閻魔大王・閻羅王・閻魔天・閻などとも言われています。閻魔はインドの宗教における死者の主(死神)・ヤマが仏教に取り入れられたものです。中国では道教の思想と結合して冥府で死者の罪業を裁くという十王に数えられました。日本では十王思想が盛んになった平安時代中期(藤原時代)頃から信仰されるようになり、鎌倉時代以降に閻魔が造仏されるようになりました。像容は宋(中国)時代の裁判官の服制で、上方が開いた方形の冠を付け、あげ頸の服を着用しています。両眼をむき出して恐ろしい表情になっています。閻魔は「十王経」などで地蔵菩薩(じぞぼさつ)と同一視され、地蔵菩薩の化身ともされています。
【白毫寺 歴史・簡単概要】
白毫寺(びゃくごうじ)は伝承によると奈良時代初期の715年(霊亀元年)に第38代・天智天皇の第7皇子・志貴皇子(しきのみこ・施基親王)の山荘跡を寺に改めたのが起源とも言われています。また白毫寺は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の師とも言われている三論宗(さんろんしゅう)の僧・勤操大徳(ごんそうだいとく)が創建した石淵寺(いわぶちでら)の一院だったとも言われています。鎌倉時代に真言律宗(しんごんりっしゅう)の祖・叡尊(えいそん)が再興し、叡尊の弟子・道照(どうしょう)が中国から宋版一切経(いっさいきょう)の摺本を請来して、経蔵に収めたことから一切経寺とも言われたそうです。その後室町時代の兵火によって焼失し、寛永年間(1624年~1643年)頃に興福寺(こうふくじ)の僧・空慶が復興し、五色椿が興福寺の塔頭・喜多院(きたいん)から移されてきたとも言われています。なお白毫寺は本尊・阿弥陀如来(重要文化財)を安置しています。
白毫寺は真言律宗の寺院です。
*参考・・・白毫寺(アクセス・見どころ・・・)wikipedia
【白毫寺えんまもうで 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
白毫寺(アクセス・見どころ・・・)情報