旧柳生藩陣屋跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

旧柳生藩陣屋跡

旧柳生藩陣屋跡(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。旧柳生藩陣屋跡ゆかりの大和柳生藩初代藩主・柳生宗矩は1571年(元亀2年)に柳生宗厳(石舟斎)の子として大和国柳生庄に生まれ、その後徳川家康に仕え、徳川秀忠・徳川家光の兵法指南役となり、柳生新陰流を将軍家御流儀に確立させました。

【旧柳生藩陣屋跡 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市柳生町340-1
最寄り駅・バス停・・・柳生(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス・柳生邑地中村行き

*第二阪奈道路宝来IC(車約40分)
路線・時刻表・運賃チェック

【旧柳生藩陣屋跡 拝観時間・時間(要確認)】
自由

【旧柳生藩陣屋跡 拝観料金・料金(要確認)】
無料

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【旧柳生藩陣屋跡 歴史・簡単概要】
旧柳生藩陣屋跡(きゅうやぎゅうはんじんやあと)は奈良県奈良市柳生町にあります。柳生藩陣屋は大和柳生藩初代藩主・柳生宗矩(やぎゅうむねのり)が江戸幕府から1万2千石の所領を与えられ、1642年(寛永19年)に建設しました。柳生宗矩は1594年(文禄3年)から江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)に仕えるようになり、1601年(慶長6年)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の兵法指南役になり、1621年(元和7年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の兵法指南役になりました。家光から信任され、1632年(寛永9年)に初代幕府惣目付(大目付)になり、1636年(寛永13年)に4,000石を加増されて合計1万石になり、大名に列して大和国柳生藩を立藩しました。また柳生宗矩は1638年(寛永15年)に父・石舟斎宗厳(せきしゅうさいむねよし)の菩提を弔う為、沢庵宗彭(たくあんそうほう)を開山として、芳徳寺(ほうとくじ・芳徳禅寺)を創建し、その後柳生藩陣屋を建設したとも言われています。柳生藩陣屋は「柳生藩日記」によると面積が1,374坪(454平方メートル)だったと言われています。その後柳生藩3代藩主 柳生宗冬(やぎゅうむねふゆ)が増築したが、1747年(延享4年)に火災で焼失し、仮建築のまま明治時代を迎えたと言われています。なお旧柳生藩陣屋跡は1980年(昭和55年)6月に史跡公園として整備されました。
*参考・・・旧柳生藩陣屋跡(アクセス・見どころ・・・)wikipedia

【旧柳生藩陣屋跡 見どころ・文化財】
旧柳生藩陣屋跡の見どころは屋敷跡に沿って積まれていた石積みです。また桜も見どころです。ソメイヨシノが約160本も植えられています。

●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ

【旧柳生藩陣屋跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0742-94-0002(柳生観光協会)

【旧柳生藩陣屋跡 おすすめ散策ルート】
旧柳生藩陣屋跡では北側にある柳生氏ゆかりの芳徳寺(芳徳禅寺)を散策するのがおすすめです。また柳生一族の墓・旧柳生藩家老屋敷・十兵衛杉などを一緒に散策するのもいいかもしれません。

【旧柳生藩陣屋跡 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場あり。

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