石上神宮ふるまつり2025年10月15日(日程時間・・・)
石上神宮ふるまつり
石上神宮ふるまつり(日程・・・)を紹介しています。ふるまつりは例年10月15日に行われています。ふるまつりでは御霊代(みたましろ)を奉安する鳳輦・甲冑武者・供奉者・太鼓・猿田彦・風流傘・花鉾・子供みこしなどの渡御の行列が田村にある御旅所まで片道約4キロを渡御します。なおふるまつりでは前日に宵宮祭、翌日に後宴祭が行われます。(詳細下記参照)
【石上神宮ふるまつり2025 日程時間(要確認)】
石上神宮ふるまつり2025は2025年(令和7年)10月15日(水曜日)10:00から行われます。過去のタイムテーブルは13:00から行列の渡御が行われ、田町の御旅所まで片道4キロを往還し、16:00に還御祭が行われます。なお14日15:00から宵宮祭、16日10:00から後宴祭も行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・石上神宮ホームページ
【石上神宮ふるまつり アクセス・マップ】
場所・・・奈良県天理市布留町384
最寄り駅・バス停・・・石上神宮前(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR天理駅・近鉄天理駅から奈良交通バス・苣原(ちしゃわら)行き
路線・時刻表・運賃チェック
【石上神宮ふるまつり 歴史・簡単概要】
石上神宮ふるまつり・例祭(れいさい)は1081年(永保元年)に第72代・白河天皇の勅使が参向し、走馬十列(そうまじゅうれつ)を奉納した故事に由来して行われています。ちなみにふるまつりでは石上神宮から田村(現・田町)の御旅所(おたびしょ)まで鳳輦(ほうれん)が渡御(巡行)することから田村渡り(たむらわたり)とも言われています。なおふるまつりは大和の秋祭り随一とも言われているそうです。
ふるまつり(例祭)では先ず御旅所(厳島神社)がある田村から衣冠姿で、馬に騎乗し、従者を伴った稚児が御幣(ごへい)を棒持して石上神宮に社参します。その後例祭が行われ、稚児が荷前(のさき・新穀初穂)を奉納します。午後から御霊代(みたましろ)を奉安する鳳輦・甲冑武者・供奉者・太鼓・猿田彦・風流傘・花鉾・子供みこしなどの渡御の行列が田村にある御旅所まで片道約4キロを渡御します。渡御終了後、御旅所祭や還御祭(かんぎょさい)が行われます。なおふるまつりでは前日に宵宮祭(よいみやさい)、翌日に後宴祭(ごえんさい)が行われます。
例祭は神社が毎年行う祭礼の内、最も重要な祭礼とされています。例祭は1年に1回行われることが多いが、神社によっては春・秋など1年に2回行われこともあります。なお例祭は例大祭(れいたいさい)とも言われるが、例大祭は俗称で、正式には大祭式例祭(たいさいしきれいさい)と言うそうです。
【石上神宮 歴史・簡単概要】
石上神宮(いそのかみじんぐう)は社伝によると紀元前23年(崇神天皇7年)に物部氏の祖・伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が勅命により、物部氏の遠祖・宇摩志麻治命が宮中で祀っていた布都御魂剣を祭神・石上大神(いそのかみのおおかみ)として、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀ったのが起源とも言われています。石上神宮は歴史が古く、「日本書紀」に神宮と記されているのは伊勢神宮と石上神宮だけで、日本最古の神宮とも言われています。ただ石上神宮はかつて本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)に主祭神を埋斎していたと言われています。ちなみに禁足地は現在も布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれています。石上神宮は武門の棟梁・物部氏の総氏神として祀られ、大和政権の武器庫の役割も果たしたとも言われています。その後平安時代後期に第72代・白河天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進し、現在の拝殿(国宝)になったとも言われています。中世以降は布留郷の鎮守となったが、奈良・興福寺(こうふくじ)と度々抗争を繰り返したり、戦国時代には織田信長により、社頭が破却されたり、神領を没収されたりしました。なお石上神宮は神体とされる布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊・布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を主祭神に祀り、布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)・布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)を配神しています。また五十瓊敷命(いにしきのみこと)・宇摩志麻治命(うましまじのみこと)・白河天皇(しらかわてんのう)・市川臣命(いちかわのおみのみこと)も祀っています。
*参考・・・石上神宮(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【石上神宮ふるまつり 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
石上神宮(アクセス・見どころ・・・)情報