五條史跡公園(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
五條史跡公園
五條史跡公園(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。五條史跡公園ゆかりの天誅組は1863年(文久3年)に第121代・孝明天皇が攘夷祈願の為に奈良に行幸されることが決まった際、天皇行幸の先鋒となるべく尊王攘夷派の志士が京都・方広寺に集まり、公卿・中山忠光を主将として40名弱で結成されました。
【五條史跡公園 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県五條市新町3丁目3-1
最寄り駅・バス停・・・五条駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR和歌山線
路線・時刻表・運賃チェック
【五條史跡公園 拝観時間・時間(要確認)】
民族資料館
10:00~16:00
月曜日・年末年始は休館
【五條史跡公園 拝観料金・料金(要確認)】
民族資料館
無料
【五條史跡公園 歴史・簡単概要】
五條史跡公園(ごじょうしせきこうえん)は奈良県五條市新町にあります。五條史跡公園はJR線路沿い・旧紀州街道沿いの古い町家の中に整備された史跡公園です。五條史跡公園は2003年(平成15年)に尊王攘夷(そんのうじょうい)派・天誅組(てんちゅうぐみ)義挙から140年経ち、国の為に命を捨てた若き志士を讃え、犠牲になった人々の追悼する為に再整備されました。天誅組は幕末(江戸時代末期)の1863年(文久3年)8月14日に中山忠光を主将として京都・方広寺(ほうこうじ)で結成され、同年8月17日に現在五條市役所の建物が建てられている場所にあった五條代官所を焼き討ちし、桜井寺に本陣を置いて五條を天朝直轄地とすると宣言しました。同年8月18日に攘夷派公卿などが失脚する八月十八日の政変が起こる大和行幸は中止され、天誅組は義挙(挙兵)の大義名分を失て、その後暴徒として幕府の追討を受け、同年9月24日~27日に東吉野村で多くの志士が戦死して壊滅しました。ただこの事件・天誅組の変が発端となって明治維新が始まったと言われ、五條史跡公園には「明治維新発祥の地」を示す碑が建てられています。五條史跡公園は面積約0.4ヘクタールで、天誅組の焼き討ちした五條代官所の長屋門が復元設置され、長屋門の内部は民族資料館として天誅組関係の資料が展示されています。また五條史跡公園北側には大正時代初期に製造された蒸気機関車8620形蒸気機関車(通称ハチロク)も保存されています。
*参考・・・五條史跡公園(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【五條史跡公園 見どころ・文化財】
五條史跡公園の見どころは民族資料館です。また桜も見どころです。
●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ
【五條史跡公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0747-22-4001(五條市観光協会)
【五條史跡公園 おすすめ散策ルート】
五條史跡公園では北東にある清白稲荷大明神を散策するのがおすすめです。周辺にはあまり観光スポットがないことから次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。
【五條史跡公園 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場あり。