長谷寺の梅見ごろ2025(時期:2月上旬~3月中旬頃)
長谷寺の梅見ごろ・アクセス・概要
長谷寺の梅見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。長谷寺の梅見ごろは例年2月上旬頃から3月中旬頃です。長谷寺では居士林など境内に紅梅・枝垂梅など数十種・約200本の梅の木が植えられています。紀貫之は「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける」と長谷寺の梅は昔と同じように良い香りが匂っていると詠みました。(詳細下記参照)
【長谷寺の梅見ごろ(例年時期)】
長谷寺の梅見ごろは例年2月上旬頃から3月中旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
奈良梅名所・梅見ごろ
【長谷寺梅 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県桜井市初瀬731-1
最寄り駅・バス停・・・長谷寺駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄大阪線
路線・時刻表・運賃チェック
【長谷寺の梅見ごろ(例年時期) 概要】
長谷寺は奈良の梅の名所です。長谷寺の梅見ごろは例年2月上旬頃から3月中旬頃です。
長谷寺では居士林など境内に紅梅・枝垂梅など数十種・約200本の梅の木が植えられています。ちなみに長谷寺は花の御寺とも言われ、古くから梅の毎所だったとも言われています。1,000年以上前の平安時代前期に「土佐日記」の作者で、三十六歌仙に数えられ、「古今和歌集」の選者である貴族・歌人である紀貫之(きのつらゆき)は「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける」と長谷寺の梅は昔と同じように良い香りが匂っていると詠みました。なお長谷寺では蝋梅(ろうばい)も植えられ、例年1月中旬頃から1月下旬頃に見ごろを迎えます。
●紀貫之は866年(貞観8年)または872年(貞観14年)に紀望行の子として生まれました。加賀介・土佐守・木工権頭などを歴任し、905年(延喜5年)に第60代・醍醐天皇の勅命で、初の勅撰和歌集「古今和歌集」を紀友則らとともに撰上しました。和歌に優れ、屏風歌の名手とされ、三十六歌仙に数えられました。ちなみに「百人一首」には「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける」が収録されています。また漢詩文の素養が深く、「土左日記」は仮名文の日記の先駆とされています。
●蝋梅はクスノキ目ロウバイ科ロウバイ属に属する落葉樹です。蝋梅は中国原産で、江戸時代初期に朝鮮半島を経て伝来し、観賞用として植栽されるようになったと言われています。蝋梅の名称は「本草綱目」によると半透明で鈍いツヤのある黄色い花びらがまるで蝋細工のようで、臘月(旧暦12月)に咲くことに由来すると言われています。蝋梅は早生種が12月頃、晩生種が2月頃に黄色い花を咲かせ、芳しい香りを漂わせます。なお蝋梅には素心蝋梅・満月蝋梅・唐蝋梅などの栽培品種があります。
●梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木で、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。
長谷寺見どころ
【長谷寺 歴史・簡単概要】
長谷寺は寺伝によると686年(朱鳥元年)に道明上人が第40代・天武天皇の銅板法華説相図を西の岡(本長谷寺)に安置したのが起源とも言われています。727年(神亀4年)に徳道上人が第45代・聖武天皇の勅により、近江高島から流れ出でた霊木を使って本尊・十一面観世音菩薩像(重要文化財)を造仏し、衆生の為に東の岡に安置したとも言われています。その後847年(承和14年)に定額寺に列せられ、858年(天安2年)に僧を統括する三綱が置かれました。1024年(万寿元年)に関白・藤原道長が観音霊場として参詣したと言われています。また平安時代中期に華厳宗・東大寺の末寺から法相宗・興福寺の末寺になったとも言われています。その後1585年(天正13年)に関白・豊臣秀吉による紀州征伐以降に新義真言宗門徒が入山して、真言宗豊山派になりました。なお長谷寺は西国三十三所の第8番札所で、大和七福八宝めぐりに数えられています。
*参考・・・長谷寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【長谷寺梅 備考】
長谷寺(アクセス・見どころ・・・)情報