法華寺ひな会式2025/4/1~7(日程時間・・・)
法華寺ひな会式
法華寺ひな会式(日程・・・)を紹介しています。ひな会式は例年4月1日から7日に行われています。ひな会式では第45代・聖武天皇の妻・光明皇后が蓮池を歩く姿を写したとも言われている本尊・十一面観音(国宝)の前に可憐な子供の姿をした善財童子50体余りを祀って法要が行われます。なおひな会式では献茶も行われるそうです。(要確認)(詳細下記参照)
【法華寺ひな会式2025 日程時間(要確認)】
法華寺ひな会式2025は2025年(令和7年)4月1日(火曜日)~7日(月曜日)14:00から行われます。法要の時間が異なる場合や一般拝観不可の場合があります。(現在確認中・要注意)
*参考・・・法華寺ホームページ
【法華寺ひな会式 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市法華寺町882
最寄り駅・バス停・・・法華寺(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス・西大寺駅航空自衛隊行き
*近鉄大和西大寺駅から奈良交通バス・JR奈良駅行き
路線・時刻表・運賃チェック
【法華寺ひな会式 歴史・簡単概要】
法華寺ひな会式(ひなえしき)は法華寺を創建した第45代・聖武天皇の妻・光明皇后(光明子)の遠忌法要です。
ひな会式では光明皇后が蓮池を歩く姿を写したとも言われている本尊・十一面観音(国宝)の前に可憐な子供の姿をした善財童子(ぜんざいどうじ)50体余りを祀って法要が行われます。ちなみに善財童子は55か所・53人の善知識(ぜんちしき)を訪ねて修行を積み、最後に普賢菩薩の所で悟りを開いたと言われているそうです。なお本尊・十一面観音の前に善財童子像を祀るひな会式がひな祭りの原型とも言われているそうです。なおひな会式では献茶も行われるそうです。(要確認)
光明皇后(安宿媛・あすかべひめ)は701年(大宝元年)に藤原不比等(ふじわらのふひと)と県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)の間に生まれ、729年(天平元年)に非皇族初の皇后(第45代・聖武天皇の妻)になりました。光明皇后は聖武天皇とともに仏教に深く帰依し、聖武天皇による国分寺・国分尼寺建立や大仏造立を助けるだけでなく、社会福祉にも尽力し、病院に当たる施薬院(せやくいん)や貧窮者・孤児の為の悲田院(ひでいん)などを設置し、760年(天平宝字4年)に亡くなりました。
●法華寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
法華寺歴史
●法華寺の見どころ(本堂・鐘楼など)を紹介しています。
法華寺見どころ
【法華寺 歴史・簡単概要】
法華寺(ほっけじ)は藤原不比等(ふじわらのふひと)の三女で、第45代・聖武天皇の妻・光明皇后(光明子)が父・不比等没後の邸宅を皇后宮とし、その後745年(天平17年)に総国分寺・東大寺(とうだいじ)に対し、皇后宮を総国分尼寺・法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)としたのが起源とも言われています。法華滅罪之寺は法華寺と言われるようになりました。ちなみに光明皇后は皇族以外から初めて天皇の皇后になり、光明皇后が蓮池を歩く姿を写したのが本尊・十一面観音様(国宝)とも言われています。その後平安京遷都とともに徐々に衰退し、1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討にも見舞われたとも言われています。1203年(建仁3年)に東大寺の大仏を再興した僧・俊乗坊重源上人(しゅんじょうぼうちょうげんしょうにん)が伽藍を再建し、鎌倉時代中期に真言律宗の僧・叡尊(えいそん)が復興しました。その後兵火や1596年(慶長元年)の地震により、伽藍の多く失い、1601年(慶長6年)頃に関白・豊臣秀吉の子・秀頼と母・淀殿の寄進によって本堂などが再建されました。なお1999年(平成11年)に真言律宗から離脱し、光明宗を立宗しました。
法華寺は光明宗の寺院です。
*参考・・・法華寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【法華寺ひな会式 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
法華寺(アクセス・見どころ・・・)情報