法華寺歴史-光明皇后が皇后宮を宮寺に改められたのが起源

法華寺歴史-修学旅行・観光ポイント

法華寺の歴史は聖武天皇の后・光明皇后が父・藤原不比等の邸宅を相続して皇后宮とし、皇后宮が宮寺に改められたのが起源です。745年(天平17年)に総国分寺の東大寺に対し、総国分尼寺の法華滅罪之寺とされました。なお歴史は時代別に年表にまとめ、重要人物も紹介しています。

法華寺見どころ

【法華寺が建立されている場所】

★法華寺が建立されている場所は公卿(くぎょう)・藤原不比等(ふじわらのふひと)の邸宅でした。奈良時代前期の720年(養老4年)に藤原不比等が亡くなると藤原不比等の三女で、第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の后・光明皇后(こうみょうこうごう・光明子(こうみょうし))が相続して皇后宮(こうごうぐう)にしました。ちなみに光明皇后は皇族以外から初めて天皇の皇后になり、光明皇后が蓮池を歩く姿を写したのが本尊・十一面観音(国宝)とも言われています。
★741年(天平13年)2月14日に聖武天皇が国分寺・国分尼寺建立の詔を発したと言われています。

【法華寺の起源・始まり】

★法華寺は745年(天平17年)に総国分寺の東大寺(とうだいじ)に対し、皇后宮(宮寺)を総国分尼寺の法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)としたのが起源とも言われています。「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」によると745年(天平17年)5月に皇后宮が宮寺に改められ、「法華寺政所牒(正倉院文書)」によると747年(天平19年)正月から法華寺と称したとも言われています。なお法華寺は女人成仏(にょにんじょうぶつ)の根本道場としての役割を担いました。光明皇后は尼僧の仏学研鑚を勧め、女人成仏の規範を示しました。また天皇崩御後は天皇の菩提も祈りました。

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【奈良時代(710年頃~794年頃)の出来事・事件】

★760年(天平宝字4年)に光明皇后も亡くなりました。
★782年(延暦元年)頃に伽藍が完成したと言われています。同年に造法華寺司が廃止されました。法華寺は現在の南門南側に金堂が建立された広大な境内に金堂や東西両塔・講堂・食堂(じきどう)などの壮大な伽藍が建立されていました。なお発掘調査により、法華寺の境内は北側が一条条間路、南側が二条条間路、東側が東二坊大路、西側が東一坊坊間路を境とし、南北3町・東西2町に及んでいました。

【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事・事件】

★794年(延暦13年)に第50代・桓武天皇(かんむてんのう)が平安京遷都(へいあんきょうせんと)を行うと奈良の諸大寺と同様に法華寺も衰退し、諸堂も荒廃しました。
★1180年(治承4年)に平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討により、東大寺・興福寺(こうふくじ)が焼失したが、法華寺も被害を受けたと言われています。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事・事件】

★1203年(建仁3年)に東大寺の俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が金堂などを修復しました。
★鎌倉時代中期に真言律宗(しんごんりっしゅう)の祖で、西大寺(さいだいじ)の叡尊(えいそん)が金堂などの諸堂を再興し、尼僧に戒を授け、戒律復興と仏法興隆に尽力しました。

【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の出来事・事件】

★1499年(明応8年)に細川政元(ほそかわまさもと)の家臣・赤沢朝経によって焼き討ちされました。
★1506年(永正3年)に赤沢朝経によって再び焼き討ちされました。
★1596年(文禄5年)に慶長伏見地震によって東塔以外の伽藍が倒壊しました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事・事件】

★桃山時代に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の皇女・高慶尼(こうけいに)が入寺すると尼門跡寺院になりました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事・事件】

★1601年(慶長6年)~1602年(慶長7年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の側室で、秀頼(ひどより)の生母・淀殿(よどどの)の発願により、片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として、本堂・鐘楼・南門などが再建されました。
★1707年(宝永4年)に地震によって東塔が倒壊しました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事・事件】

★1999年(平成11年)に真言律宗を離脱し、光明宗と称しました。

【法華寺の開基とされる光明皇后】

光明皇后は701年(大宝元年)に藤原不比等と県犬養橘三千代の三女・安宿媛として生まれました。その後皇太子であった第45代・聖武天皇と結婚し、非皇族初の皇后になりました。718年(養老2年)に第46代・孝謙天皇、その後第48代・称徳天皇となる阿倍内親王を産み、724年(神亀元年)に夫が聖武天皇に即位すると後宮の位階・夫人号を賜りました。727年(神亀4年)に皇太子・基王(基皇子)を産んだが、728年(神亀5年)10月20日に亡くなりました。長屋王の変後の729年(天平元年)に皇后の詔が発せられました。749年(天平勝宝元年)に夫・聖武天皇が娘・阿倍内親王(孝謙天皇)に譲位しました。756年(天平勝宝8年)5月2日に夫・聖武天皇が崩御し、760年(天平宝字4年)7月27日に光明皇后も亡くなりました。光明皇后は夫・聖武天皇とともに仏教に深く帰依し、夫・聖武天皇による国分寺・国分尼寺建立や大仏造立を助けるだけでなく、社会福祉にも尽力し、病院に当たる施薬院や貧窮者・孤児の為の悲田院などを設置しました。

【法華寺 備考】
*参考・・・法華寺(歴史・見どころ・・・)ホームページ

関連記事

奈良観光おすすめ

  1. 柳生一刀石
  2. 若草山(Mt. Wakakusa-yama)
  3. 吉野山
ページ上部へ戻る