豊太閤花見塚(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

豊太閤花見塚

豊太閤花見塚(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。豊太閤花見塚で花見を楽しんだと言われる関白・豊臣秀吉は金峯山寺の僧坊・吉水院(吉水神社)を本陣としました。吉水院は鎌倉時代に源義経が隠れ住み、南北朝時代に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇が御所にした場所でもありました。

【豊太閤花見塚 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県吉野郡吉野町吉野山3289
最寄り駅・バス停・・・吉野山駅(徒歩約20分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄吉野線・吉野駅から吉野ロープウェイ
路線・時刻表・運賃チェック

【豊太閤花見塚 拝観時間・時間(要確認)】
自由

【豊太閤花見塚 拝観料金・料金(要確認)】
無料

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【豊太閤花見塚 歴史・簡単概要】
豊太閤花見塚(ほうたいこうはなみづか)は奈良県吉野郡吉野町吉野山にあります。豊太閤花見塚は安土桃山時代の1594年(文禄3年)2月27日(新暦4月17日)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)がいずれも五大老である徳川家康(とくがわいえやす)・宇喜多秀家(うきたひでいえ)・前田利家(まえだとしいえ)や伊達政宗(だてまさむね)の諸大名、そして豊臣秀次(とよとみひでつぐ)・豊臣秀頼(とよとみひでより)・北政所(きたのまんどころ)・淀殿(よどどの)など総勢5,000人で花見を楽しんだ場所と言われています。ちなみにこの時期は1592年(文禄元年)3月から豊臣秀吉が「唐入り(中国進出)」を目指して朝鮮に出兵し、その後膠着状態に陥り、1593年(文禄2年)から明(中国)との講和交渉が開始され、1593年(文禄2年)8月3日に淀殿が豊臣秀頼を産み、本拠を伏見城に移した頃でした。豊臣秀吉が吉野に入ってから3日間雨が続き、豊臣秀吉が苛立って雨が止まなければ、吉野に火を掛けて下山すると伝えたことから京都・聖護院(しょうごいん)の僧・道澄(どうちょう)が吉野全山の僧に夜通し晴天祈祷を命じ、翌日に雨が止んで晴れ、盛大な花見が催されました。豊臣秀吉は「一目で千本見える。絶景じゃ、絶景じゃ」と称賛し、「年月を 心にかけし 吉野山 花のさかりを 今日見つるかな」と和歌を詠みました。なお豊臣秀吉は吉野に5日間滞在し、「歌の会」・「茶の会」・「能の会」などが催されました。
*参考・・・豊太閤花見塚(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【豊太閤花見塚 見どころ・文化財】
豊太閤花見塚の見どころは眺望です。豊太閤花見塚は吉野山の本筋となる尾根から外れた場所にあり、大きな谷を隔てた向かいに下千本から上千本までの尾根筋が一望できます。

【豊太閤花見塚 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0746-39-9237(吉野町観光案内所)

【豊太閤花見塚 おすすめ散策ルート】
豊太閤花見塚では南側に位置する小判井戸を散策するのがおすすめです。時間がある方は吉野・吉野山一帯を散策するのがおすすめです。特に桜シーズンはお花見を楽しみながら散策できます。

【豊太閤花見塚 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
吉野山桜見ごろ
*奈良には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
奈良桜見ごろ2025
駐車場なし。

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