石上神宮歴史-修学旅行・観光ポイント
石上神宮歴史の簡単まとめ
石上神宮歴史を簡単にマトメてポイント解説します。石上神宮は紀元前23年(崇神天皇7年)に伊香色雄命が勅命により、宇摩志麻治命が宮中で祀っていた布都御魂剣を石上布留の高庭に祀ったのが起源とも言われています。なお石上神宮歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。
【前史(布留山・布都御魂剣)】
★石上神宮が北西麓の高台に祀られている布留山(ふるやま)は標高266メートルの山です。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯になっています。
★御神体である布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は社伝によるとは武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)が葦原中国(あしわらのなかつくに)を平定した際に使われました。その後初代・神武天皇(じんむてんのう)の東征の際、神武天皇が熊野で危機に陥った時に神威によって救われました。神武天皇が大和畝傍橿原宮(うねびかしはらのみや)で即位するとその功績を称え、物部氏(もののべし)の遠祖 宇摩志麻治命(うましまじのみこと)に命じて宮中に祀られました。なお布都御魂剣に宿る神霊は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)とされています。
【石上神宮創建(起源・由来)】
★石上神宮は社伝によると紀元前23年(崇神天皇7年)に物部氏の祖・伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が第10代・崇神天皇(すじんてんのう)の勅命により、物部氏の遠祖・宇摩志麻治命が宮中で祀っていた布都御魂剣を「石上大神(いそのかみのおおかみ)」として、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀ったのが起源とも言われています。石上神宮は日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神とされ、大和政権の武器庫としての役割も果たしたとも言われています。石上神宮は「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」・「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」・「石上社」・「布留社」などとも言われています。日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」に神宮と記されているのは石上神宮と伊勢神宮だけです。石上神宮はかつて本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)に主祭神を埋斎していたと言われています。ちなみに禁足地は現在も布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれています。なお石上神宮には天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した際に用いられた天十握剣(あめのとつかのつるぎ)が石上布都魂神社(岡山県赤磐市)から移されたとも言われています。
【弥生時代(前10世紀頃~後3世紀中頃)の出来事・事件】
★10年(垂仁天皇39年)に剣一千口と神宝が納められました。
【飛鳥時代(592年~710年)の出来事・事件】
★674年(天武天皇3年)に忍壁皇子(刑部親王)が派遣され、神宝が磨かれ、諸家の宝物が子孫に返還されました。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事・事件】
★804年(延暦23年)に勅撰史書「日本後紀(にほんこうき)・平安時代初期編纂」によると第50代・桓武天皇(かんむてんのう)が歴代天皇が武器を納めてきた神宮の兵仗を山城国葛野郡に移した際、倉が倒れたり、桓武天皇が病気になったり、次々に怪異なことが起こった為、使者を石上神宮に派遣し、女巫に鎮魂を命じたが、女巫が一晩中怒り狂ったことから天皇の年齢と同じ69人の僧侶を集めて読経させ、神宝を元に戻しました。
★850年(嘉祥3年)に神階が正三位に叙され、859年(貞観元年)に従一位に昇叙し、868年(貞観9年)に最高位である正一位に昇叙しました。
★平安時代中期に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に「大和国山辺郡 石上坐布留御魂神社」と記され、名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられ、月次・相嘗・新嘗に幣帛を賜り、臨時祭も行われました。
★平安時代後期に第72代・白河天皇(しらかわてんのう)から崇敬され、宮中の神嘉殿(しんかでん)を賜り、現在の拝殿(国宝)が建立されました。
★永久年間(1113年~1118年)に「永久寺置文」によると興福寺(こうふくじ)の塔頭(たっちゅう)・大乗院(だいじょういん)2世・頼実が第74代・鳥羽天皇(とばてんのう)の勅願により、石上神宮の神宮寺・内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)を創建しました。1136年(保延2年)に真言堂、1137年(保延3年)に八角多宝塔が建立され、吉祥堂・観音堂・常存院・御影堂・経蔵・鐘楼・温室(浴室)・四所明神社・玉賀喜社などの堂宇があったと言われています。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事・事件】
★鎌倉時代以降に石上神宮は布留郷の鎮守になり、石上神宮は内山永久寺とともに栄えました。
★1300年(正安2年)に内山永久寺の鎮守社・住吉神社の拝殿(国宝)が建立されました。拝殿は1914年(大正3年)に出雲建雄神社の拝殿として移築されます。なお鎌倉時代に内山永久寺は五町四方の山内に坊舎52、堂宇20があったとも言われています。
★1318年(文保2年)に楼門(重要文化財)が建立されました。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事・事件】
★1336年(延元元年・建武3年)に「太平記(たいへいき)」によると南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が内山永久寺に一時身を隠したとも言われています。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事・事件】
★安土桃山時代に織田信長(おだのぶなが)により、神領が没収されたり、社頭が破却されたりしました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事・事件】
★江戸時代中期に俳諧師(はいかいし)・松尾芭蕉(まつおばしょう)が内山永久寺を訪れ、「うち山や とざましらずの 花ざかり」と詠んだと言われています。
★江戸時代に内山永久寺が「西の日光」とも言われました。上街道の浄国寺北側から内山永久寺西門に至る石畳まで参詣者が絶えなかったと言われています。
【明治時代以降(1868年頃~)の出来事・事件】
★明治維新後の神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、神宮寺・内山永久寺の寺領が没収されて廃寺になり、伽藍の多くが取り壊され、寺宝が失われました。僧侶は還俗して石上神宮の神官になりました。
★1871年(明治4年)に官幣大社に列せられました。
★1874年(明治7年)に発掘が行われ、布都御魂剣が出土しました。その後布都御魂剣・曲玉などの神宝を祀る本殿を建立する為、1878年(明治11年)に再発掘が行われ、天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)が出土しました。1913年(大正2年)に本殿が完成しました。天羽々斬剣に宿る神霊は布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)とされています。
★1883年(明治16年)に号「神宮」を名乗ることが許されました。
★1914年(大正3年)に内山永久寺跡に残されていた住吉神社の拝殿が出雲建雄神社の拝殿として移築されました。
★1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に列せられました。
【石上神宮 備考】
*参考・・・石上神宮(アクセス・見どころ・・・)ホームページ