弘仁寺歴史-修学旅行・観光ポイント

弘仁寺の時代別年表と重要人物

弘仁寺歴史を簡単にマトメてポイント解説します。弘仁寺は815年(弘仁6年)に嵯峨天皇が創建したとも言われています。また弘仁寺は807年(大同2年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が創建したとも言われています。なお修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。

【前史(蓮台野)】

★弘仁寺が建立されている虚空蔵山(こくぞうさん・高樋山)は標高約182メートルです。弘仁寺は虚空蔵山(高樋山)に建立されていることから虚空蔵寺・虚空蔵山寺とも称し、「高樋の虚空蔵さん」とも呼ばれました。

【弘仁寺創建(起源・由来)】

★弘仁寺は平安時代前期の815年(弘仁6年)に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)が創建したとも言われています。嵯峨天皇の夢に現れた老人が「奈良の南に霊山がある。もろもろの仏があらわれて、お経の声がたえない。ここに寺をたてて、衆生を利益されたい。」と告げ、嵯峨天皇が探したところ霊山が虚空蔵山であることが分かり、弘仁寺を創建したと言われています。
★弘仁寺は807年(大同2年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が創建したとも言われています。弘法大師・空海が流星が虚空蔵山に落ちるのを見て創建したとも言われています。弘法大師・空海は自ら刻んだ虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)像を本尊として安置したとも言われています。また弘法大師・空海は明星菩薩(みょうじょうぼさつ)立像も刻んだとも言われています。明星菩薩立像は現在、奈良国立博物館に寄託されています。
★弘仁寺は平安時代初期に公卿・小野篁(おののたかむら)が創建したとも言われています。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

★中世以降に一時、華厳宗(けごんしゅう)の大本山・東大寺(とうだいじ)の末寺になりました。東大寺の書物に弘仁寺が記され、弘仁寺には多くの堂宇が立ち並び、修業道場であったとも言われています。
★平安時代に四天王(してんのう)像の内、2体が造仏されました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】

★鎌倉時代に四天王像の内、2体が造仏されました。また鎌倉時代頃に大仏師・運慶(うんけい)が大日如来(だいにちにょらい)像を造仏したとも言われています。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】

★南北朝時代に弘法大師画像が制作されました。弘法大師画像は現在、奈良国立博物館に寄託されています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

★1572年(元亀3年)に大和国の戦国大名・松永久秀(まつながひさひで・松永弾正(まつながだんじょう))によって焼き討ちされ、弘仁寺の伽藍の多くを焼失しました。
★室町時代に子安観音(こやすかんのん)像・十一面観音(じゅういちめんかんのん)像が造仏されました。また室町時代に小野篁画像が制作されました。小野篁画像は現在、奈良国立博物館に寄託されています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

★1629年(寛永6年)に僧・宗全が再興しました。
★1629年(寛永6年)または元禄年間(1688年~1704年)に本堂(奈良県指定有形文化財)に再建されました。
★1827年(文政10年)に奥田政八が算額を奉納しました。
★1858年(安政5年)に石田算楽軒が算額を奉納しました。
★江戸時代ぶ南都宿院仏師・源次が不動明王(ふどうみょうおう)像が造仏されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

★太平洋戦争中に梵鐘が金属類回収令によって供出されたが、戦後に弘仁寺に戻されました。

【第52代・嵯峨天皇:弘仁寺開基】

第52代・嵯峨天皇は786年(延暦5年)に第50代・桓武天皇と皇后・藤原乙牟漏の皇子として生まれました。799年(延暦18年)に元服し、君主の器量を持っていたことなどから父に愛されたと言われています。803年(延暦22年)に三品中務卿になり、806年(延暦25年)に弾正尹になり、806年(延暦25年)に兄が第51代・平城天皇に即位すると皇太弟に立てられました。809年(大同4年)に兄から譲位されて嵯峨天皇に即位し、甥で、平城天皇の皇子・高岳親王を皇太子にしました。しかし810年(弘仁元年)に平城上皇が復位を試みた薬子の変が起こり、皇太子を廃し、異母弟・大伴親王を皇太弟にしました。823年(弘仁14年)に大伴親王(第53代・淳和天皇)に譲位し、833年(天長10年)に大覚寺の前身である離宮・嵯峨院に御所を造営しました。嵯峨天皇は弘仁格式・新撰姓氏録などを編纂させ、葵祭に奉仕する賀茂斎院を設置し、蔵人所・検非違使などを設けて律令制の補強しました。また嵯峨天皇は能筆で知られ、弘法大師・空海と橘逸勢とともに三筆に数えられました。なお第52代・嵯峨天皇は842年(承和9年)に崩御しました。

【弘仁寺 備考】
*参考・・・弘仁寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

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