正暦寺歴史-修学旅行・観光ポイント
正暦寺の時代別年表と重要人物
正暦寺歴史を簡単にマトメてポイント解説します。正暦寺は992年(正暦3年)に関白・藤原兼家の子・兼俊僧正が第66代・一条天皇の勅命によって創建したと言われています。正暦寺は勅願寺になり、86院もの塔頭があったと言われています。なお正暦寺歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。
【前史(金銅薬師如来倚像)】
★奈良時代(710年~794年)前期に本尊(秘仏)・金銅薬師如来(やくしにょらい)倚像(重要文化財)が造仏されたと言われています。なお金銅薬師如来倚像は像高28.0センチで、春季・秋季に瑠璃殿(宝物館)で一般公開されることがあります。
【正暦寺創建(起源・由来)】
★正暦寺は平安時代中期の992年(正暦3年)に関白・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の子・兼俊僧正(けんしゅんそうじょう)が第66代・一条天皇(いちじょうてんのう)の勅命によって創建したと言われています。創建当初には堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭(たっちゅう)が渓流をはさんで建立され、勅願寺(ちょくがんじ)としての威容・壮麗を誇っていたと言われています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
★1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討(なんとやきうち)により、正暦寺全山が焼失し、寺領も没収され、一時は廃墟(廃寺)になったとも言われています。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
★1218年(建保6年)に関白・藤原忠通(ふじわらのただみち)の子で、法相宗(ほっそしゅう)の大本山・興福寺(こうふくじ)の塔頭・大乗院(だいじょういん)の門跡・信円僧正(しんえんそうじょう)が正暦寺を法相宗の学問所として再興しました。正暦寺では金堂・弥勒堂・講堂・十三重宝塔・経蔵・御影堂・鐘楼などや別院が建立され、往時に勝る隆盛を極めたと言われています。報恩院家が正暦寺の別院として寺務を管轄しました。ちなみに信円僧正は「菩提山僧正」・「菩提山御房」とも言われました。なお正暦寺は歴代の大乗院門跡が兼帯し、興福寺の別院・正願院門跡になったとも言われています。
★建暦年間(1211年~1218年)頃に浄土宗(じょうどしゅう)の宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の弟子・蓮光法師(れんこうほうし)が草庵を結んだと言われています。本殿は安養院(あんよういん)、別殿は迎接院(こうしょういん)とし、浄土門の法灯(ほうとう)を掲げたこともありました。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
★1506年(永正3年)に大和国に攻め込んできた室町幕府管領・細川政元(ほそかわまさもと)の家臣・赤沢朝経(あかざわともつね)によって焼き討ちされました。この後再興され、坊舎が82坊を数え、寺禄が約1,000石あったと言われています。
★室町時代に日本酒の酒造技術が「御酒之日記」に記されています。正暦寺では菩提山(ぼだいさん)を流れる清流の清水を使って、日本最初の清酒・菩提泉が醸造されたとも言われています。なお正暦寺などの寺院では元来、酒造りが禁止されていたが、日本古来の神道と仏教が融合した神仏習合(しんぶつしゅうごう)時代に鎮守神(ちんじゅがみ)や天部(てんぶ)の仏に献上する日本酒を荘園で栽培した米を使って醸造しました。僧侶が醸造する日本酒は僧坊酒(そうぼうしゅ)と言われていました。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】
★天正年間(1573年~1592年)に「菩提山正暦寺古図」が描かれました。なお菩提山正暦寺は忍辱山円成寺(えんじょうじ)・鹿野園梵福寺(ぼんぶくじ)・誓多林万福寺(まんぷくじ)・大慈山薬師寺(やくしじ)とともに「北大和五山」に数えられました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
★江戸時代初期に日本酒の酒造技術が「童蒙酒造記」に記されています。
★1601年(慶長6年)に本堂・三重塔・護摩堂・観音堂・地蔵堂・灌頂堂・鐘楼・経蔵・如法経堂・御影堂・十三重塔・弥勒堂・六所明神・鎮守社などの堂塔・伽藍が建立され、朱印地が300石あったと言われています。
★1629年(寛永6年)に火災によって堂塔・伽藍が焼失しました。
★1681年(延宝9年)に福寿院の客殿(重要文化財)・台所(重要文化財)が建立されました。客殿には狩野永納(かのうえいのう)筆の襖絵「富嶽(ふがく)」が残されています。
★江戸時代中期以降に真言宗(しんごんしゅう)御室派(おむろは)の総本山である京都・仁和寺(にんなじ)の末寺になったと言われています。
★1836年(天保7年)に再び火災によって多くの堂塔・伽藍が焼失し、正暦寺が衰退しました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
★明治維新後の神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、正暦寺が衰退しました。
★1916年(大正5年)に本堂が再建されました。
★1925年(大正15年)に鐘楼が再建されました。
★1967年(昭和42年)に仁和寺から独立し、菩提山真言宗大本山と名乗るようになりました。
【兼俊僧正:正暦寺開山】
兼俊僧正は962年(応和2年)に関白・藤原兼家の子として生まれました。その後真言宗の僧になり、992年(正暦3年)に第66代・一条天皇の勅命により、正暦寺を創建しました。 1006年(嘉承元年)に大和国(奈良)金峰山の鳳閣寺で伝法灌頂を受け、その後観法を修行したと言われています。なお兼俊僧正は没年が不詳です。
【正暦寺 備考】
*参考・・・正暦寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ