本薬師寺跡ホテイアオイ見ごろ2024(8月中旬~9月下旬頃)
本薬師寺跡ホテイアオイ見ごろ(見頃)
本薬師寺跡ホテイアオイ見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。本薬師寺跡では休耕田に約400,000株のホテイアオイが植えられ、美しい薄紫色の花が一面に広がります。西側には天香久山・耳成山とともに大和三山に数えられる畝傍山がそびえ、畝傍山を背景に写真撮影すると美しいとも言われています。(詳細下記参照)
●2023年、本薬師寺跡のホテイアオイの植付け事業が中止になったそうです。(下記リンク参照)
*参考・・・橿原市ホームページ
【本薬師寺跡ホテイアオイ見ごろ(例年時期)】
本薬師寺跡のホテイアオイ見ごろは例年8月中旬頃から9月下旬頃です。ただホテイアオイの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
【本薬師寺跡ホテイアオイ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・奈良県橿原市城殿町
最寄り駅・バス停・・・近鉄畝傍御陵前駅(徒歩約9分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄橿原線
路線・時刻表・運賃チェック
【本薬師寺跡ホテイアオイ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
本薬師寺跡は奈良を代表するホテイアオイ(布袋葵)の名所です。本薬師寺跡のホテイアオイ見ごろは例年8月中旬頃から9月下旬頃です。なお本薬師寺跡では橿原市立畝傍北小学校の生徒が金堂跡周辺の休耕田にホテイアオイを植えているそうです。
本薬師寺跡では休耕田に約400,000株のホテイアオイが植えられ、美しい薄紫色の花が一面に広がります。西側には天香久山(あまのかぐやま)・耳成山(みみなしやま)とともに大和三山に数えられる畝傍山(うねびやま)がそびえ、畝傍山を背景に写真撮影すると美しいとも言われています。
橿原市立畝傍北小学校は1872年(明治5年)8月5日に御坊小学校が信光寺に新設されたのが始まりです。1928年(昭和3年)4月1日に町制実施とともに畝傍町立畝傍北尋常高等小学校に認可替えになり、1956年(昭和31年)2月11日に町村合併によって橿原市立畝傍北小学校に改称されました。
金堂は本尊を安置する本堂(仏堂)のことです。本堂は金堂・根本中堂(中堂)・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われるとこが多いそうです。
畝傍山は標高約198.8メートルで、天香久山・耳成山とともに国の名勝に指定され、歴史的風土特別保存地区にも指定されています。畝傍山は瀬戸内火山帯に属し、中新世に噴出した火山岩が侵食されて現在の形になったとも言われています。
ホテイアオイ(布袋葵)は単子葉植物ミズアオイ科に属する多年生水草(浮遊性水草)です。ホテイアオイはテイソウ・ウォーターヒヤシンスとも言われています。ホテイアオイは熱帯・亜熱帯アメリカ原産で、1884年(明治17年)にブラジルからアメリカを経由して、日本に観賞用として持ち込まれたと言われています。ホテイアオイは葉が円形または卵円形で、葉柄(ようへい)の基部近くが膨らんで浮き袋になり、根を水中に垂らします。ホテイアオイは高さ20~30センチの花茎(かけい)を出し、長く伸びた花軸(かじく)に多数の小花が付く穂状花序(すいじょうかじょ)をつくり、漏斗状(ろうとじょう)鐘形(かねがた)の径約3センチの花を咲かせます。花被(かひ)は淡青紫色の6枚で、上片に大きくて濃い斑紋(はんもん)があります。
【本薬師寺跡 歴史・簡単概要】
本薬師寺跡(もとやくしじあと)は現在、奈良市西ノ京に建立されている薬師寺(やくしじ)の前身になります。本薬師寺は飛鳥時代後期の680年(天武天皇9年)11月に第40代・天武天皇(てんむてんのう)が皇后・鵜野讃良(うののさらら)の病気平癒を祈願する為、医王如来(いおうにょらい)とも言われる薬師如来(やくしにょらい)を本尊とする寺院を発願し、藤原京(ふじわらきょう)右京八条三坊に創建しました。日本最古の正史「日本書紀」によると百人の僧を得度(出家)させると鵜野讃良の病気が平癒したとも言われています。ただ第40代・天武天皇は完成を見ずに686年(天武天皇15年)に崩御し、皇后・鵜野讃良が第41代・持統天皇(じとうてんのう)に即位して完成させ、688年(持統天皇2年)に無遮大会(むしゃだいえ)が行われたと言われています。本堂である金堂・東塔・西塔が建立されていたが、710年(和銅3年)に第43代・元明天皇(げんめいてんのう)が藤原京から平城京(へいじょうきょう)に遷都させると718年(養老2年)に現在の薬師寺が西ノ京に建立され、本薬師寺(もとやくしじ)と言われるようになりました。ちなみに現在の薬師寺東塔(国宝)にはかつて移建・非移建の論争があったが、西ノ京で新築されたと言われています。本薬師寺は「中右記(ちゅうゆうき)・1087年(寛治元年)~1138年(保延4年)」・「左経記(さけいき)・1016年(長和5年)~1035年(長元8年)」などによると平安時代中期(11世紀初頭)まで存続していたとも言われています。本薬師寺跡には小堂が建てられ、前庭には金堂の礎石や東塔・西塔の土壇と塔の心礎などが残されています。1976年(昭和51年)・1984年(昭和59年)・1990年(平成2年)・1992年(平成4年)・1996年(平成8年)に発掘調査が行われました。なお本薬師寺跡は1952年(昭和27年)3月29日特別史跡に指定されています。
*参考・・・本薬師寺跡(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【本薬師寺跡ホテイアオイ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
本薬師寺跡(アクセス・見どころ・・・)情報