新薬師寺おたいまつ2025/4/8(日程時間・・・)
新薬師寺おたいまつ
新薬師寺おたいまつ(修二会)(日程・・・)を紹介しています。おたいまつは例年4月8日に行われています。おたいまつでは長さ約7メートルの大松明10本と籠松明1本が僧侶を本堂まで先導します。本堂では本尊・薬師如来に桃の生花と南天を飾り、無数の灯明を灯し、全国の神々を勧請し、天下泰平を祈願する初夜法要が行われます。(詳細下記参照)
【新薬師寺おたいまつ2025 日程時間(要確認)】
新薬師寺おたいまつ2025は2025年(令和7年)4月8日(火曜日)17:00から行われます。19:00からおたいまつが行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・新薬師寺ホームページ
【新薬師寺おたいまつ アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市高畑町1352
最寄り駅・バス停・・・高畑町(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス
路線・時刻表・運賃チェック
【新薬師寺おたいまつ 歴史・簡単概要】
新薬師寺おたいまつ・修二会(しゅにえ)は天平時代から行われているとも言われています。おたいまつでは本尊・薬師如来に罪を懺悔し、天下泰平を祈願します。なおおたいまつが行われる4月8日はお釈迦様の誕生日とされ、寺院ではお釈迦様の誕生を祝う花まつり(灌仏会・降誕会・浴仏会)が行われるが、新薬師寺では4月8日が本尊・薬師如来のご縁日とされ、おたいまつ(修二会)が行われているそうです。
おたいまつでは先ず夕方から本尊・薬師如来に人々の罪を悔い改める薬師悔過法要(やくしけかほうよう・日中法要)が行われます。この時お釈迦様が身に備える32の優れた特徴を称える三十二相(さんじゅうにそう)が唱えられます。その後夜間になると長さ約7メートルの大松明10本と籠松明1本が僧侶を本堂まで先導し、本堂の周囲を回ります。本堂では本尊・薬師如来に桃の生花と南天を飾り、無数の灯明を灯し、神明帳を読み上げて、全国の神々を勧請し、天下泰平を祈願する初夜法要が行われます。ちなみに松明の燃えた炭には無病息災のご利益があるとも言われています。
修二会は1月(正月)に行われる修正会 (しゅしょうえ) と同様に昨年を反省し、新年の国家安泰・天下泰平・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願します。修二会は2月に行われることに由来し、修二月会とも言われています。修二会は中国のから伝わり、奈良時代には南都七大寺で盛んに行われるようになったと言われています。
お釈迦様(釈迦牟尼 ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖で、世界四聖の一人です。ちなみに仏陀とは悟った者・目覚めた者を意味するお釈迦様の尊称です。お釈迦様は約2500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。
●新薬師寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
新薬師寺歴史
●新薬師寺の見どころ(本堂・十二神将立像など)を紹介しています。
新薬師寺見どころ
【新薬師寺 歴史・簡単概要】
新薬師寺(しんやくしじ)は寺伝によると747年(天平19年)第45代・聖武天皇の妻・光明皇后が夫・聖武天皇の病気平癒の為、七仏薬師像を造仏して創建したと言われています。聖武天皇は743年(天平15年)に大仏造立の詔を発し、紫香楽宮(滋賀甲賀市信楽町)で大仏の造立が開始されたが、745年(天平17年)に地震や山火事が頻発し、平城京に戻って東大寺(とうだいじ)で大仏の造立を再開したが、聖武天皇は体調を崩したと言われています。聖武天皇の病気平癒の為、畿内の寺院では薬師悔過法要(やくしけかほうよう)が命じられ、諸国に薬師仏像の造仏も命じられたと言われています。ちなみに新薬師寺は香薬寺・香山薬師寺とも言われていたそうです。その後780年(宝亀11年)の落雷によって伽藍の一部が焼失したり、962年(応和2年)の台風によって伽藍の一部が倒壊したりして衰退したと言われています。しかし鎌倉時代に華厳宗中興の祖・明恵が一時入寺して復興し、現在の伽藍の多くが再建されたと言われています。
新薬師寺は華厳宗の寺院です。
*参考・・・奈良・新薬師寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【新薬師寺おたいまつ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良・新薬師寺(アクセス・見どころ・・・)情報