初代別当・良弁僧正(ろうべん)と東大寺お水取り

初代別当・良弁僧正と東大寺お水取り

東大寺初代別当・良弁僧正は774年(宝亀4年)12月16日に亡くなったと言われ、例年良弁僧正の命日(御忌日)である12月16日早朝に良弁僧正坐像を安置し、良弁堂とも言われる開山堂でお水取り(修二会)を行う11人の練行衆がで発表されます。(詳細下記参照)

【東大寺お水取り2025 日程時間(要確認)】
東大寺お水取り2025は2025年(令和7年)3月1日(土曜日)~14日(金曜日)に行われます。なおお松明は19:00から行われます。ただ12日(水曜日)は19:30、14日は18:30から行われます。
東大寺お水取り2025日程

【東大寺お水取り 基礎知識】
東大寺お水取り(おみずとり)・修二会(しゅにえ)・お松明(おたいまつ)は正式には十一面悔過(じゅういちめんけか)と言います。十一面悔過では二月堂(国宝)の本尊・大観音(おおかんのん)と小観音(こがんのん)に罪を懺悔し、鎮護国家・天下泰安・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願しました。お水取りは752年(天平勝宝4年)に東大寺の開山・良弁僧正の高弟・実忠(じっちゅう)が始め、以来一度も途切れることなく続けられています。ちなみにお水取りの名称は二月堂の本尊に井戸・若狭井(わかさい)から汲み上げたお香水(おこうずい)を供えたことに由来し、修二会の名称は旧暦の2月に修する法会に由来し、お松明の名称は夜毎松明(たいまつ)に火を灯したことに由来します。
東大寺お水取り2025

【初代別当・良弁僧正(ろうべん)】
東大寺初代別当(べっとう)・良弁僧正は奈良時代(710年~794年)後期の774年(宝亀4年)12月16日に亡くなったと言われ、例年良弁僧正の命日(御忌日)である12月16日早朝に良弁僧正坐像(国宝)を安置し、良弁堂とも言われる開山堂(国宝)でお水取り(修二会)を行う11人の練行衆がで発表されます。ちなみに開山堂では12月16日に良弁忌が行われ、良弁僧正坐像が一般公開されます。(要確認)練行衆は二月堂の須弥壇(しゅみだん)を飾る椿の造花を作る花ごしらえの際、赤い和紙に誤って糊をこぼしてできた斑点を糊こぼし(のりこぼし)とも、良弁椿(ろうべんつばき)とも言われる開山堂の椿に例えます。糊こぼしとも、良弁椿とも言われる開山堂の椿は赤い花に白い斑点(はんてん)が入り、白毫寺の五色椿(びゃくごうじ)・伝香寺(でんこうじ)の散り椿とともに大和三名椿(やまとさんめいちん・奈良三名椿)に数えられています。

●良弁(良辨・朗弁)は飛鳥時代(592年~710年)後期の689年(持統天皇3年)に相武国(神奈川)造の後裔である漆部(ぬりべ)一族である漆部直足人の子として生まれたとも言われています。また若狭国(福井)小浜下根来で生まれ、母が野良仕事をしている最中に鷲にさらわれ、奈良・東大寺二月堂前(春日大社)の杉の木に引っ掛かっているのを助けられたとも言われています。二月堂前には良弁杉と言われる杉の木が植えられています。更に近江国(滋賀)の百済(くだら)系渡来人の子孫とも言われています。幼少の頃から法相宗(ほっそうしゅう)の祖・義淵(ぎえん)に法相・唯識(ゆいしき)を学び、新羅(しらぎ)の僧・審祥(しんじょう)や慈訓(じくん)から華厳(けごん)を学びました。その後東山 (生駒市)に隠棲し、自ら刻んだ執金剛神像を祀って修行に励み、金鐘行者(こんしゅぎょうじゃ・金鷲行者)と言われました。728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)と光明皇后(こうみょうこうごう)の間に生まれた皇太子・基皇子(もといのみこ)の菩提(ぼだい)を追修する為、若草山麓に設けられた金鐘山房の智行僧(ちぎょうそう)に選ばれました。733年(天平5年)に東大寺の前身となる金鐘寺(こんしょう)が建立され、聖武天皇から羂索院(けんじゃくいん)を賜ったと言われています。740年(天平12年)に審祥を金鐘寺に招へいして初めての「華厳経」の講座を開きました。742年(天平14年)に聖武天皇の勅により、金鐘寺が大和国分寺になりました。745年(天平17年)に律師(りっし)になり、同年に「金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)」の講説を行いました。751年(天平勝宝4年)に少僧都(しょうそうず)になり、同年に行基(ぎょうき)、造東大寺司次官・佐伯宿禰今毛人(さえきのすくねいまえみし)らとともに東大寺大仏造立・東大寺建立に尽力し、東大寺初代別当になりました。また751年(天平勝宝4年)頃に聖武上皇が病気になると看病禅師(ぜんじ)を務めました。754年(天平勝宝6年)に唐(中国)の渡来僧・鑑真和上(がんじんわじょう)一行が東大寺を訪れた際に迎えました。756年(天平勝宝8年)に聖武上皇崩御に伴って看病の功により、鑑真和上とともに大僧都(だいそうず)になり、760年(天平宝字4年)に慈訓・法進とともに僧階(三色十三階制)を改めるよう奏上しました。761年(天平宝字5年)に東大寺別当を勇退し、石山寺(滋賀県大津市)の建立に尽力しました。773年(宝亀4年)に僧尼を統括する僧正(そうじょう)に任命されました。良弁は日本華厳宗の第二祖と言われています。なお良弁は774年(宝亀4年)12月16日に亡くなりました。1019年(寛仁3年)に有慶(ゆうきょう)が造立した良弁坐像が東大寺開山堂に安置され、良弁が生前に所持していたと言われる如意(にょい)を右手に持っています。

【初代別当・良弁僧正と東大寺お水取り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
東大寺見どころ

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