薬師寺の歴史は天武天皇が皇后の病気平癒の為に発願したのが起源
薬師寺の時代別年表と重要人物
薬師寺は680年(天武天皇9年)に天武天皇が皇后・鵜野讃良の病気平癒を祈願する為に発願したのが起源です。ただ天武天皇は完成を待たずに崩御し、694年(持統天皇8年)に藤原宮に遷都すると右京八条三坊に建立されました。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。
【藤原京遷都】
- 藤原京(ふじわらきゅう)は676年(天武天皇5年)頃から都の候補になり、その後整備され、694年(持統天皇8年)に飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)から遷都されました。
【薬師寺の起源・始まり】
- 薬師寺は日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」によると680年(天武天皇9年)に第40代・天武天皇(てんむてんのう)が皇后・鵜野讃良(うののさらら(第41代・持統天皇(じとうてんのう)))の病気平癒を祈願する為に発願したのが起源です。ただ第40代・天武天皇は686年(朱鳥元年)に薬師寺の完成を待たずに崩御しました。
- 薬師寺は686年(朱鳥元年)に鵜野讃良が第41代・持統天皇に即位し、690年(持統天皇4年)から藤原京の造営を開始され、694年(持統天皇8年)に飛鳥浄御原宮から藤原宮に遷都すると藤原京右京八条三坊(奈良県橿原市城殿町)に建立されました。
【飛鳥時代(592年~710年)の歴史・出来事】
- 688年(持統天皇2年)に無遮大会(かぎりなきおがみ)が行われました。
- 697年(文武天皇元年)に「続日本紀(しょくにほんぎ)」によると本尊・薬師如来(やくしにょらい)が開眼し、翌698年(文武天皇2年)に薬師寺(本薬師寺)の伽藍がほぼ完成し、僧侶が住したと言われています。なお本薬師寺は「中右記(ちゅうゆうき)」・「左経記(さけいき)」などによると平安時代中期(11世紀初頭)まで存続していたとも言われています。本薬師寺跡には金堂・東塔の礎石、西塔の心礎が残されています。
【奈良時代(710年頃~794年頃)の歴史・出来事】
- 710年(和銅3年)に平城京(へいじょうきょう)遷都が行われると718年(養老2年)に薬師寺も現在の場所・平城京右京六條二坊に移されました。
- 養老年間(717年~724年)に吉備内親王(きびないしんのう)が第43代・元明天皇(げんめいてんのう)の為に東院堂を建立しました。
- 722年(養老6年)に第40代・天武天皇の為に弥勒(みろく)像、第41代・持統天皇の為に釈迦(しゃか)像が造仏されました。
- 730年(天平2年)に東塔が建立されたと言われています。
- 奈良時代に薬師寺は四大寺に数えられ、金堂・東西両塔・大講堂など主要な伽藍に裳階(もこし)が付けられ、 「龍宮造り」とも言われました。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
- 973年(天禄4年)に食堂からの出火によって講堂・三面僧坊・回廊・経蔵・鐘楼・中門・南大門・東院堂など薬師寺の多くの伽藍が焼失しました。
- 989年(永祚元年)に台風によって金堂の上層が倒壊しました。
- 1005年(寛弘2年)に食堂が再建され、1013年(長和2年)に南大門が再建されました。
- 1095年(嘉保2年)に本薬師寺跡から仏舎利(ぶっしゃり)を掘り出しました。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
- 1285年(弘安8年)に東院堂が再建されました。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】
- 1361年(正平16年・興安元年)に地震によって金堂・東西両塔が破損し、中門・回廊・西院などが倒壊しました。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
- 1445年(文安2年)に台風によって金堂・南大門が倒壊し、仮金堂が建立されました。
- 1512年(永正9年)に西院の西門(南門)が建立されました。1650年(慶安3年)に西院の西門が薬師寺の南門として移されました。
【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】
- 1528年(享禄元年)に筒井順興(つついじゅんこう)の兵火によって金堂・講堂・中門・西塔・僧坊など薬師寺の多くの伽藍が焼失しました。薬師寺創建時から唯一現存する東塔は焼失を免れました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
- 1600年(慶長5年)に金堂が再建されました。
- 1603年(慶長8年)に休ヶ岡八幡宮が再興されました。
- 1852年(嘉永5年)に講堂が再建されました。ただ1995年(平成7年)に解堂されました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
- 1944年(昭和19年)に地震によって金堂・講堂・東塔が傾斜し、東大門・北大門が倒壊し、塔頭(たっちゅう)・地蔵院(じぞういん)が大破しました。
- 1976年(昭和51年)に金堂が再建されました。
- 1981年(昭和56年)に西塔が再建されました。
- 1991年(平成3年)に玄奘三蔵院が建立されました。
- 1998年(平成10年)に薬師寺はユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)に登録されました。
- 2003年(平成15年)に大講堂が再建されました。
【薬師寺の開基とされる第40代・天武天皇】
第40代・天武天皇は第34代・舒明天皇と第35代・皇極天皇(第37代・斉明天皇)の子として生まれました。若い頃から兄・中大兄皇子と行動を共にし、668年(天智天皇7年)に兄・中大兄皇子が第38代・天智天皇に即位すると皇太弟として政治を助けました。その後甥で、天智天皇の第1皇子・大友皇子が成人すると皇嗣問題が起こりました。兄・天智天皇が病気に臥すと剃髪して吉野に引き籠りました。兄・天智天皇が崩御し、甥・大友皇子が第39代・弘文天皇に即位すると672年(天武天皇元年)に挙兵し、弘文天皇が自害しました。673年(天武天皇2年)に飛鳥浄御原宮で第40代・天武天皇として即位し、兄・天智天皇の皇女・鵜野讃良を皇后にしました。八色の姓で氏姓制度を再編したり、律令制の導入に向けて制度改革を進めたりしました。なお第40代・天武天皇は686年(朱鳥元年)10月1日に崩御しました。
【薬師寺 備考】
*参考・・・薬師寺(歴史・見どころ・・・)ホームページ