不退寺黄菖蒲・花菖蒲見ごろ2025
不退寺黄菖蒲・花菖蒲見ごろ(見頃)
不退寺黄菖蒲・花菖蒲見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。不退寺では多宝塔前の池に約500株の黄菖蒲が分布し、明るい黄色の黄菖蒲と多宝塔などの光景が美しいと言われています。不退寺には杜若・菖蒲なども植えられ、黄菖蒲と一緒に楽しめる場合もあります。(詳細下記参照)
【不退寺黄菖蒲・花菖蒲見ごろ(例年時期)】
不退寺の黄菖蒲・花菖蒲見ごろは例年5月下旬頃から6月中旬頃です。ただ黄菖蒲・花菖蒲の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
●不退寺twitterで黄菖蒲・花菖蒲状況をチェック。
不退寺twitter
【不退寺黄菖蒲・花菖蒲見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市法蓮町517
最寄り駅・バス停・・・一条高校前(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス・西大寺駅航空自衛隊行き
*近鉄大和西大寺駅から奈良交通バス・JR奈良駅白土町行きの場合、不退寺口(徒歩約5分)
路線・時刻表・運賃チェック
【不退寺黄菖蒲・花菖蒲見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
不退寺は黄菖蒲(キショウブ)・花菖蒲(ハナショウブ)の名所です。不退寺の黄菖蒲見ごろは例年5月上旬頃~5月中旬頃、花菖蒲見ごろは例年6月上旬頃~6月下旬頃です。
不退寺では多宝塔(重要文化財)前の池に約500株の黄菖蒲が分布し、明るい黄色の黄菖蒲と多宝塔などの光景が美しいと言われています。不退寺には杜若(カキツバタ)・菖蒲(アヤメ)なども植えられ、黄菖蒲と一緒に楽しめる場合もあります。黄菖蒲の後に花菖蒲が見ごろを迎えます。花菖蒲は花の色や形などが様々な多くの品種が植えられています。花びらの間に隙間がある三英咲きが多いと言われています。なお例年5月28日の在原業平の命日に開山忌が行われ、多宝塔が特別開扉されます。
黄菖蒲はアヤメ科アヤメ属の多年草です。黄菖蒲は西アジアからヨーロッパが原産です。日本では明治時代頃から栽培されていたものが各地の水辺・湿地などに拡大しました。黄菖蒲は環境省が「要注意外来生物」に指定しています。黄菖蒲は高さ60センチ~1.0メートルで、花は花茎の頂に咲きます。花は外花被片が大きく円形で先端が垂れ下がり、内花被片が小型で直立した鮮黄色の花を咲かせます。花は外花被片の中央に茶色がかった模様があります。黄菖蒲の名称は花の色に由来しています。
花菖蒲はアヤメ科アヤメ属の多年草です。花菖蒲は同じアヤメ科アヤメ属の杜若(カキツバタ)とともに菖蒲(アヤメ)とも言われています。花菖蒲は日本・中国・朝鮮半島などの水辺・湿原などに自生し、赤紫色の花を咲かせる野花菖蒲(ノハナショウブ)の園芸種です。園芸種には江戸郊外堀切の菖蒲園で作られた江戸花菖蒲、江戸花菖蒲から作出された肥後花菖蒲・伊勢花菖蒲、そして原種の特徴を強く残す長井古種などがあります。またヨーロッパ原産のキショウブとの交雑によって生まれた園芸種もあります。花菖蒲には花色・絞り・覆輪(ふくりん)など組み合わせると約5,000種類もあると言われています。一般的に花菖蒲は高さ60センチ~1.2メートルで、花は高さ40~100センチの花茎の頂に咲きます。花は内側3枚の内花被片と外側3枚の外花被片があり、外花被片は楕円形で垂れ下がり、基部に黄のマークがあります。
多宝塔は鎌倉時代中期に建立されました。多宝塔はかつて初層の上に上層と相輪があったが、明治時代初期に取り払われ、初層のみが残されています。また多宝塔には安浪(快慶)作の千体地蔵が安置されていたと言われています。多宝塔は宝形造(ほうぎょうづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
【不退寺 歴史・簡単概要】
不退寺(ふたいじ)・不退転法輪寺(ふたいてんほうりんじ)・業平寺(なりひらでら)は平安時代初期の809年(大同4年)に第51代・平城天皇(へいぜいてんのう)が弟で、第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)に譲位し、萱葺きの御殿・萱の御所を造営して隠棲した場所です。その後平城天皇の第1皇子・一品阿保親王(いっぽんあぼしんのう)と一品阿保親王の第5子・在原業平(ありわらのなりひら)が居住しました。不退寺は847年(承和14年)に在原業平が54代・仁明天皇(にんみょうてんのう)の勅願により、父・一品阿保親王の菩提を弔うとともに衆生済度の為、自ら聖観音(しょうかんのん)像(業平観音)を刻んで萱の御所跡に創建し、仁明天皇の勅願所になったと言われています。ちなみに不退寺の名称は「法輪を転じて退かず」に由来しています。その後平安時代後期の1180年(治承4年)に平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討によって伽藍が焼失し、鎌倉時代に西大寺(さいだいじ)の僧・興正菩薩叡尊(えいそん)が再興しました。ただ中世から近世は西大寺と興福寺(こうふくじ)の子院・一乗院(いちじょういん)の末寺になり、幕末からは西大寺・三光院の住職が兼務したそうです。なお1930年(昭和5年)に本堂、1934年(昭和9年)に多宝塔・南大門が解体・修理されました。
不退寺は真言律宗の寺院です。
*参考・・・不退寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【不退寺黄菖蒲・花菖蒲見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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