薬師寺梅見ごろ2025(時期:2月中旬~3月中旬頃)
薬師寺梅見ごろ(見頃)
薬師寺梅見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。梅見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。薬師寺では玄奘三蔵伽藍の本坊寺務所周辺や白鳳伽藍の北門受付の参道・東僧坊付近に紅梅・白梅など10種・約100本の梅の木が植えられ、梅と玄奘三蔵伽藍・参道・東僧坊などの光景が美しいと言われています。梅の見ごろには一帯が梅の香りに包まれます。(詳細下記参照)
【薬師寺梅見ごろ(例年時期)】
薬師寺の梅見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
奈良梅名所・梅見ごろ
【薬師寺梅 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市西ノ京町457
最寄り駅・バス停・・・西ノ京駅(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄橿原線
路線・時刻表・運賃チェック
【薬師寺梅見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
薬師寺は奈良の梅の名所です。薬師寺の梅見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。
薬師寺では玄奘三蔵伽藍の本坊寺務所周辺や白鳳伽藍の北門受付の参道・東僧坊付近に紅梅・白梅など10種・約100本の梅の木が植えられ、梅と玄奘三蔵伽藍・参道・東僧坊などの光景が美しいと言われています。梅の見ごろには一帯が梅の香りに包まれます。玄奘三蔵伽藍は拝観料が不要で、梅を楽しめます。
玄奘三蔵院伽藍は1991年(平成3年)に造営されました。玄奘三蔵院伽藍には玄奘塔・大唐西域壁画殿・東経蔵・西経蔵・礼門などが建立されています。玄奘塔には玄奘三蔵像を安置しています。大唐西域壁画殿には日本画家・平山郁夫が30年の歳月を掛けて制作した縦約2.2メートル・長さ約49メートルの大唐西域壁画があります。
本坊事務所は薬師寺の事務所として使用され、お写経道場に繋がっています。
東僧坊は参拝者の休憩所となっています。お土産を買うこともできます。また東僧坊には金堂に安置されている薬師三尊像(国宝)の内、薬師如来の台座のレプリカなどもあります。なお僧坊は元々僧侶が生活する建物です。
花見と言うと現在は桜を連想するが、奈良時代には中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に変わり、奈良時代末期頃成立の「万葉集」では梅を読んが和歌が桜よりも多かったが、平安時代前期成立の「古今和歌集」では桜を詠んだ和歌の方が梅よりも多くなります。なお梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木で、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。
●薬師寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
薬師寺歴史
●薬師寺の見どころ(東塔・東院堂など)を紹介しています。
薬師寺見どころ
【薬師寺 歴史・簡単概要】
薬師寺(やくしじ)は飛鳥時代後期の680年(天武天皇9年)に第40代・天武天皇(てんむてんのう)が皇后・鵜野讃良(うののさらら・持統天皇(じとうてんのう))の病気平癒を祈願する為に発願し、百僧を得度(出家)させ、藤原京(ふじわらきょう)右京八条三坊に創建されました。東塔の屋上にある相輪(そうりん)支柱にもその旨が記述されています。688年(持統天皇2年)に無遮大会(かぎりなきおがみ)が行われ、698年(文武天皇2年)に伽藍がほぼ完成したと言われています。710年(和銅3年)に平城京(へいじょうきょう)に遷都され、「薬師寺縁起(やくしじえんぎ)」によると718年(養老2年)に現在の場所である西ノ京に移ったと言われています。「扶桑略記(ふそうりゃくき)」によると730年(天平2年)に東塔が完成したと言われています。平安時代中期の973年(天禄4年)の火災や戦国時代(室町時代後期)の1528年(享禄元年)の筒井順興(つついじゅんこう)の兵火によって多くの伽藍を焼失し、創建当初の建物は東塔だけになりました。桃山時代の1600年(慶長5年)に郡山城城主・増田長盛(ましたながもり)が金堂を再建し、江戸時代後期の1852年(嘉永5年)に大講堂が再建されました。
薬師寺は法相宗の大本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・薬師寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【薬師寺梅 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
薬師寺(アクセス・見どころ・・・)情報