修験道の本尊・蔵王権現(ざおうごんげん)と吉野山

修験道の本尊・蔵王権現と吉野山

蔵王権現は桜の木が神木とされ、吉野山には桜の木が多く植えられています。白鳳年間に修験道の祖・役行者が山上ヶ岳で修行していると蔵王権現を感得し、その姿の桜の木に刻み、大峰山寺・金峯山寺を祀ったのが神木の起源です。

【吉野山の桜見ごろ(例年時期)】
吉野山の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年3月20日、ウェザーマップは桜の開花・満開が平年並で、奈良で3月25日に開花、3月29日に満開になると予想しました。
吉野山桜見ごろ

【吉野山 歴史・簡単概要】
吉野山は奈良県中央部を流れる吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈に続く約8キロメートルの山稜です。吉野山では修験道の祖である役行者・役小角が修行中に感得した蔵王権現を桜の木に自ら刻み、桜が蔵王権現の神木とされ、蔵王権現に祈願する際に桜の苗木を寄進することが風習になりました。現在、吉野山には白山桜(シロヤマザクラ)など約200種・約3万本の桜の木が植えられています。

【修験道の本尊・蔵王権現(ざおうごんげん)】
蔵王権現は桜の木が神木とされ、吉野山には桜の木が多く植えられ、日本を代表する桜名所になっています。飛鳥時代(592年~710年)の白鳳年間(661年~683年)に修験道の祖(しゅげんどう)・役行者(えんのぎょうじゃ・役小角(えんのおづの))が山上ヶ岳(さんじょうがたけ)で修行していると蔵王権現を感得し、その姿の桜の木(山桜)に刻み、山上ヶ岳の山頂にある大峰山寺(おおみねさんじ)と吉野山にある金峯山寺(きんぷせんじ)に祀りました。その後修験者が修行するようになると蔵王権現を桜の木に刻んで祀ることが習わしになりました。ちなみに神木とされる桜の木は枯れ木といえども薪にせず、一枝を折る者は指一本を切るということが厳守されました。その後蔵王権現に祈願する場合、神木とされる桜の苗木を寄進するという風習が起こり、平安時代(794年~1185年)の頃から多くの桜の木が植えられるようになりました。金峯山寺では蔵王堂前の広場で、石の柵の中に四本桜(4本の桜の木)が植えられています。

●蔵王権現は金剛(こんごう)蔵王権現・金剛蔵王菩薩(ぼさつ)などと言われています。金剛蔵王には究極の真理を体現し、全てのものを司る王という意味があり、権現には権(かり)の姿で現れた神仏という意味があり、蔵王権現は仏・菩薩・諸尊・諸天善神・天神地祇(てんじんちぎ)などの全ての力を包括しているとされています。蔵王権現は仏教の発祥の地であるインドに起源を持たない日本独自の仏で、日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊とされています。蔵王権現は飛鳥時代の白鳳年間に修験道の祖・役行者(役小角)が金峯山(きんぷせん)の頂上である山上ヶ岳で一千日間の参籠修行をしていると感得されたと言われています。役行者は衆生を救う為、修験道の本尊を賜りたいと祈念すると釈迦如来(しゃかにょらい)・千手千眼観世音菩薩(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)が出現したが、柔和な姿では衆生を救えないと祈念を続けると天地鳴動(てんちめいどう)し、山上の大盤石が割れ裂け、雷鳴ととともに湧き出るように荒々しい忿怒(ふんど)の形相(ぎょうそう)をした蔵王権現が出現しました。蔵王権現は釈迦如来・千手千眼観世音菩薩・弥勒菩薩の柔和な姿ではなく、忿怒の姿で出現したものです。ちなみに蔵王権現は第27代・安閑天皇(あんかんてんのう)と同一の神格とされ、大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・国常立尊(くにのとこたちのみこと)・日本武尊(やまとたける)・金山毘古命(かなやまひこのみこと)などと習合して信仰されました。なお一般的に蔵王権現像は一面三目二臂(ひ)で、顔が逆髪忿怒(ふんぬ)の相、右手は三鈷杵(さんこしょ)を高く振りかざし、左手は剣印にして腰に置き、左足は磐石を踏み、右足は高く踏み上げています。
●役行者(役小角)は634年(舒明天皇6年)に大角と白専女の子として、大和国葛城上郡茅原(奈良県御所市茅原)で生まれたと言われています。650年(白雉元年)に京都に志明院を創建し、651年(白雉2年)に元興寺で孔雀明王の呪法を学びました。20代の頃に藤原鎌足の病気を平癒させ、30代の頃に葛城山に登って孔雀明王像を岩窟に祀って修行し、不思議の験術を得たとも言われています。その後も山岳修行を続け、金峯山で蔵王権現を感得し、日本古来の山岳信仰や山修行と外来の密教などを融合させた修験道の基礎を築きました。ただ弟子・韓国連広足が役行者の能力を妬み、鬼神を使役とした妖術を使って衆生を惑わしていると朝廷に讒訴したことから699年(文武3年)に伊豆島に流罪になりました。その後701年(大宝元年)1月に大赦となって故郷に戻り、同年6月7日に大阪箕面・天上ヶ岳で亡くなったと言われています。

【修験道の本尊・蔵王権現と吉野山 備考】
*奈良には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
奈良桜見ごろ2025

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