善福寺・梅川忠兵衛の供養碑(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
善福寺・梅川忠兵衛の供養碑
善福寺・梅川忠兵衛の供養碑(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。梅川忠兵衛の供養碑ゆかりの近松門左衛門は江戸時代中期を代表する浄瑠璃・歌舞伎作者で、忠兵衛と梅川が登場する「冥途の飛脚」だけでなく、「曽根崎心中」・「国性爺合戦」・「心中天網島」などの作品を生み出しました。
【善福寺・梅川忠兵衛の供養碑 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県橿原市新口町
最寄り駅・バス停・・・近鉄新ノ口駅(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄橿原線
*近鉄大阪線の場合、近鉄大和八木駅(徒歩約20分)
路線・時刻表・運賃チェック
【善福寺・梅川忠兵衛の供養碑 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【善福寺・梅川忠兵衛の供養碑 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【善福寺・梅川忠兵衛の供養碑 歴史・簡単概要】
歓喜山善福寺(ぜんぷくじ)・梅川忠兵衛の供養碑(うめかわちゅうべえのくようひ)は奈良県橿原市新口町にあります。梅川忠兵衛の供養碑は1883年(明治16年)に忠兵衛屋敷跡から移されたとも言われています。忠兵衛は江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)・歌舞伎(かぶき)作者・近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の浄瑠璃「冥途の飛脚(めいどのひきゃく)」に登場する主人公です。「冥途の飛脚」は宝永年間(1704年~1711年)に起こった飛脚屋亀屋忠兵衛の為替金横領事件の実話に基づいて創作されました。忠兵衛は大和(奈良県)新口村の百姓の子として生まれたが、大阪淡路町の飛脚問屋・亀屋に養子として出されます。その後養父が亡くなると亀屋を継いだが、新町槌屋の遊女・梅川と恋仲になります。友人は忠兵衛の将来を案じたが、忠兵衛は友人の意見に逆上し、預かっていた三百両に手を付ける罪を犯します。忠兵衛と身請けされた梅川は手に手を取って忠兵衛の故郷・新口村に駆け落ちしたが、その後捕らえられ、忠兵衛は大阪千日前の刑場で処刑され、梅川は近江矢橋の十王堂で忠兵衛の菩提を弔いながら50年余りの余生を送りました。ちなみに「冥途の飛脚」は江戸時代中期の1711年(正徳元年)に大坂・竹本座で初演され、「奈良の旅籠屋三輪の茶屋、五日、三日、夜を明し、二十日あまりに、四十両、使い果して二分(一両の半分)残る。鐘も霞むや初瀬山・余所に見捨ての親里の、新口村に着きにけるが」という名文句が残されています。また奈良県桜井市三輪には茶屋跡が残されています。なお善福寺は忠兵衛菩提寺とも言われています。
善福寺は浄土真宗の寺院です。
*参考・・・善福寺・梅川忠兵衛の供養碑(アクセス・見どころ・・・)
【善福寺・梅川忠兵衛の供養碑 見どころ・文化財】
善福寺・梅川忠兵衛の供養碑の見どころは梅川忠兵衛の供養碑です。梅川忠兵衛の供養碑は山門をくぐってすぐ正面に建立されています。
【善福寺・梅川忠兵衛の供養碑 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0744-47-2270(橿原市観光交流センター)
【善福寺・梅川忠兵衛の供養碑 おすすめ散策ルート】
善福寺・梅川忠兵衛の供養碑では西側にある薬師堂・信長大明神を散策するのがおすすめです。周辺にはあまり観光スポットがないことから次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。
【善福寺・梅川忠兵衛の供養碑 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。