達磨寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

達磨寺

達磨寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。達磨寺は雪丸像(王寺町指定有形文化財)を祀っています。雪丸は達磨寺開基・聖徳太子の愛犬で、雪丸は人間の言葉を理解し、お経を読むことができたと言われています。達磨寺1号墳は雪丸の墓とされ、古墳の上に雪丸像が祀られていました。

【達磨寺 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県北葛城郡王寺町本町2丁目1番40号
最寄り駅・バス停・・・王寺駅(徒歩約15分)、新王寺駅(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR関西本線・近鉄生駒線・近鉄田原本線
路線・時刻表・運賃チェック

【達磨寺 拝観時間・時間(要確認)】
10:00~15:00(平日)
終日(土曜日・日曜日)

【達磨寺 拝観料金・料金(要確認)】
無料

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【達磨寺 歴史・簡単概要】
達磨寺(だるまじ)は奈良県北葛城郡王寺町本町にあります。達磨寺は飛鳥時代の613年(推古天皇21年)に第31代・用明天皇(ようめいてんのう)の皇子・聖徳太子(しょうとくたいし)が創建したとも言われています。日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」によると613年(推古天皇21年)12月に聖徳太子が道の傍で伏せっていた飢人(異人)を見付け、飲み物・食べ物・衣服を与えたが、飢人は亡くなりました。聖徳太子は飢人の墓をつくて厚く葬ったが、埋葬したはずの遺体が消え、飢人が達磨大師(だるまだいし)の化身(けしん)と考えられるようになり、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったと言われています。その後鎌倉時代初期の建久年間(1190年~1198年)に解脱上人貞慶(げだつしょうにんじょうけい)が達磨像やお堂を修理し、達磨寺と称するようになりました。嘉禄年間(1225年~1228年)に興福寺(こうふくじ)によって焼き討ちされて衰亡し、延応年間(1239年~1240年)に勝月上人が再興しました。室町時代中期の永享年間(1429年~1441年)に京都・建仁寺(けんにんじ)の南峯禅師が住持になり、山名時熙、室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)、室町幕府4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)、室町幕府6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)などから援助されました。戦国時代(室町時代後期)の永禄年間(1558年~1570年)に戦国大名・松永久秀(まつながひさひで・松永弾正(まつながだんじょう)によって焼き討ちされて衰亡したが、第106代・正親町天皇(おおぎまちてんのう)の綸旨や豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)の支援によって再興しました。江戸時代前期に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から30石の朱印地が安堵されました。2004年(平成16年)に本堂が再建されました。
達磨寺は臨済宗南禅寺派の寺院です。
*参考・・・達磨寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【達磨寺 見どころ・文化財】
達磨寺の見どころは江戸時代前期の1667年(寛文7年)に建立された方丈(奈良県指定有形文化財)・庭園「亀集庭」です。ちなみに方丈は西側が入母屋造(いりもやづくり)・東側が切妻造(きりづまづくり)で、屋根が東西で非対称の造りになった珍しい建築様式になっています。また聖徳太子と達磨大師が座って歌を詠み交わしたという伝承がある問答石なども見どころです。

【達磨寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0745-31-2341(達磨寺)

【達磨寺 おすすめ散策ルート】
達磨寺では東側に位置する片岡神社を散策するのがおすすめです。周辺にはあまり観光スポットがないことから次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。

【達磨寺 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。

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