法起寺歴史の簡単まとめ-時代別年表と重要人物

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法起寺歴史の簡単まとめ-修学旅行・観光ガイド

法起寺歴史を簡単にまとめてポイント解説します。法起寺は622年(推古30年)に聖徳太子は薨去に臨み、長子・山背大兄王に岡本宮を寺に改めることを遺命し、山背大兄王が寺に改めたのが起源です。なお法起寺歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。

法起寺見どころ

【前史:法起寺】

★法起寺が建立されている場所は飛鳥時代前期の606年(推古14年)に第31代・用明天皇(ようめいてんのう)の皇子・聖徳太子(しょうむてんのう・厩戸皇子(うまやどのおうじ))が「法華経(ほけきょう)」を講説した岡本宮が造営されていた場所でした。なお発掘調査により、礎石を据えずに地面に直接柱穴を掘った掘立柱(ほったてばしら)跡や石敷の雨落溝などが確認されました。

【法起寺創建(起源・由来)】

★法起寺は622年(推古30年)2月22日、聖徳太子は薨去に臨み、長子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)に岡本宮の宮殿を寺に改めることを遺命し、山背大兄王が寺に改めたのが起源と言われています。山背大兄王は大倭国の田十二町・近江国の田三十町を施入したと言われています。ちなみに法起寺は岡本寺(おかもとでら)・岡本尼寺(おかもとにでら)・池後寺(いけじりでら)・池後尼寺(いけじりにでら)と言われました。法起寺は法隆寺(ほうりゅうじ)・四天王寺(してんのうじ)・中宮寺(ちゅうぐうじ・中宮尼寺(ちゅうぐうにじ))・橘寺(たちばなでら)・蜂岡寺(はちおかでら・広隆寺(こうりゅうじ))・葛木寺(かつらぎじ・葛城尼寺(かつらぎにじ))などとともに聖徳太子建立七ヵ寺に数えられました。なお奈良時代中期の747年(天平19年)の「法隆寺縁起」に池後尼寺が聖徳太子建立七寺(聖徳太子建立七ヵ寺)として記されています。

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【飛鳥時代(592年~710年)の出来事】

★638年(舒明10年)に福亮僧正(ふくりゅうそうじょう)が聖徳太子の為に金堂を建立し、弥勒(みろく)像一躯を造仏しました。
★685年(天武14年)に恵施僧正(けいしそうじょう)が宝塔(三重塔)の建立を発願し、706年(慶雲3年)3月に宝塔の露盤を造ったと言われています。
★708年(慶雲3年)に三重塔が建立されました。
★飛鳥時代に金堂・宝塔(三重塔)以外にも講堂・中門も建立されていたとも言われています。法起寺では東側に金堂・西側に宝塔に並び、西側に金堂・東側に宝塔が並ぶ法隆寺と東西が逆になっており、法起寺式伽藍配置とも言われています。

【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事】

★平安時代に衰退し、法隆寺(ほうりゅうじ)の下に入りました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事】

★鎌倉時代に三重塔・講堂が修理されました。1262年(弘長2年)に三重塔の修理が完了したと言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】

★室町時代に衰退したと言われています。戦国時代(室町時代後期)に兵火に見舞われたと言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】

★江戸時代に伽藍は三重塔だけが残されていました。その後1694年(元禄7年)に講堂が再建され、1863年(文久3年)に聖天堂が建立されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】

★1993年(平成5年)に法起寺はユネスコ世界文化遺産(法隆寺地域の仏教建造物)に登録されました。

【聖徳太子:法起寺開基】

法起寺開基は聖徳太子です。聖徳太子は574年(敏達天皇3年)に第31代・用明天皇と第29代・欽明天皇の第3皇女で、皇后・穴穂部間人の第2皇子として生まれました。幼少時から聡明で、仏法を尊んだと言われています。585年(用明天皇元年)に第30代・敏達天皇が崩御すると父・橘豊日皇子(第31代・用明天皇)が即位したが、 587年(用明天皇2年)に崩御しました。593年(崇峻天皇5年)に叔母で、史上初の女帝である第33代・推古天皇が即位すると皇太子・摂政になって補佐しました。聖徳太子は内政・外交などの政治に尽力し、603年(推古天皇11年)に冠位十二階、604年(推古天皇12年)に十七条憲法を制定したり、607年(推古天皇15年)に小野妹子を遣隋使として派遣したりしました。また仏教に深く帰依し、聖徳太子建立七大寺を創建したり、「三経義疏」を著したりして仏教の振興に尽くしました。聖徳太子は622年(推古天皇30年)に亡くなりました。

【法起寺歴史の簡単まとめ 備考】
*参考・・・法起寺(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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