法隆寺慈恩会2024年11月13日(日程時間・・・)

法隆寺慈恩会

法隆寺慈恩会(日程・・・)を紹介しています。慈恩会は例年11月13日に行われています。慈恩会では中国・唐代きっての学僧で、法相宗の宗祖である慈恩大師・窺基を追悼し、宗学の振興を祈願します。慈恩会では大講堂(国宝)に安置されている本尊・薬師三尊像(国宝)前を慈恩大師画像が掛けられ、四箇法要・番論議などが行われます。(詳細下記参照)

【法隆寺慈恩会2024 日程時間(要確認)】
法隆寺慈恩会2024は2024年(令和6年)11月13日(水曜日)13:30から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・法隆寺ホームページ

【法隆寺慈恩会 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
最寄り駅・バス停・・・法隆寺駅(徒歩約20分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR関西本線

*JR法隆寺駅からバス・法隆寺門前行きの場合、法隆寺門前
*JR王寺駅からバス・春日大社奈良行きの場合、法隆寺前
*近鉄奈良駅からバス・JR王寺駅行きまたはバス・法隆寺行きの場合、法隆寺前
路線・時刻表・運賃チェック

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【法隆寺慈恩会 歴史・簡単概要】
法隆寺慈恩会(じおんね)は1216年(健保4年)から行われています。ただ明治維新後の神仏分離(廃仏毀釈)によって一時途絶え、1896年(明治29年)からは法隆寺・興福寺(こうふくじ)・薬師寺(やくしじ)で順次行われるようになったが、1950年(昭和25年)に法隆寺が聖徳宗を立宗すると再び途絶え、1982年(昭和57年)の法相宗独立100周年・高祖慈恩大師の1,300年御忌を迎えて再興されました。なお慈恩会は951年(天暦5年)11月13日に興福寺第14世別当・空晴(こうじょう)が興福寺で始め、その後法相宗の寺院に広まったと言われています。
慈恩会では古式に則り、中国・唐代きっての学僧で、法相宗の宗祖である慈恩大師・窺基(きき・基(き))を追悼し、宗学の振興を祈願します。慈恩会では大講堂(国宝)に安置されている本尊・薬師三尊像(国宝)前を慈恩大師画像が掛けられ、四箇法要・番論議などが行われます。
慈恩大師・窺基は632年に唐の功臣で、父・尉遅敬徳と母・裴氏との間に生まれ、17歳で出家し、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)に師事して、玄奘三蔵が645年にインドから持ち帰った経典の翻訳に参加し、659年には訳した成唯識論を注釈し、成唯識論述記・成唯識論掌中枢要を記しました。なお慈恩大師は法苑義林章・成唯識論述記を記し、法相宗の宗義が形成されたと言われています。
大講堂は925年(延長3年)に鐘楼とともに落雷によって焼失し、その後990年(正暦元年)に再建されたと言われています。
●法隆寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
法隆寺歴史
●法隆寺の見どころ(金堂・夢殿など)を紹介しています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)法隆寺見どころ(東院伽藍等)

【法隆寺 歴史・簡単概要】
法隆寺(ほうりゅうじ)・斑鳩寺(いかるがでら)は第31代・用明天皇が自らの病気平癒を祈願する為に発願したが、実現しないまま崩御し、607年(推古天皇15年)第33代・推古天皇と用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)が用明天皇の遺志を継いで創建し、本尊・薬師如来を安置したのが起源と言われています。670年(天智9年)に焼失したが、その後再建され、693年(持統7年)には仁王会が行われたとも言われています。739年(天平11年)行信僧都が聖徳太子を偲び、斑鳩宮(いかるがのみや)の旧地に夢殿を建立した言われています。その後慶長年間に関白・豊臣秀吉の子・秀頼、江戸時代には江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍の修造を行いました。なお法隆寺は1993年(平成5年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(法隆寺地域の仏教建造物)のひとつに登録されました。
法隆寺は聖徳宗の総本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【法隆寺慈恩会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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