法隆寺金堂壁画焼損自粛法要2025年1月26日(日程時間・・・)

法隆寺金堂壁画焼損自粛法要

法隆寺金堂壁画焼損自粛法要(日程・・・)を紹介しています。金堂壁画焼損自粛法要は例年1月26日に行われています。金堂壁画焼損自粛法要では1949年(昭和24年)1月26日の火災のような惨事が再び起こらぬように心を一新にするとともに損焼した壁画を供養します。なお金堂の火災により、1月26日が文化財防火デーになりました。(詳細下記参照)

【法隆寺金堂壁画焼損自粛法要2025 日程時間(要確認)】
法隆寺金堂壁画焼損自粛法要2025は2025年(令和7年)1月26日(日曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・法隆寺ホームページ

【法隆寺金堂壁画焼損自粛法要 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
最寄り駅・バス停・・・法隆寺駅(徒歩約20分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR関西本線

*JR法隆寺駅からバス・法隆寺門前行きの場合、法隆寺門前
*JR王寺駅からバス・春日大社奈良行きの場合、法隆寺前
*近鉄奈良駅からバス・JR王寺駅行きまたはバス・法隆寺行きの場合、法隆寺前
路線・時刻表・運賃チェック

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【法隆寺金堂壁画焼損自粛法要 歴史・簡単概要】
法隆寺金堂壁画焼損自粛法要(こんどうへきがしょうそんじしゅくほうよう)では1949年(昭和24年)の火災のような惨事が再び起こらぬように心を一新にするとともに損焼した壁画を供養します。1949年(昭和24年)1月26日、金堂(国宝)の解体修理中に行われた壁画模写作業中に火災が発生し、壁画と柱が焼損しました。なお金堂の火災により、1950年(昭和25年)に文化財保護法が施行され、火災のあった1月26日が文化財防火デーになりました。
金堂壁画焼損自粛法要は金堂と焼損した壁画が現在保存されている収蔵庫で行われます。法要終了後、鏡池で防火訓練の放水が行われます。
金堂壁画は金堂が再建された7世紀後半に描かれたと言われています。金堂壁画は金堂の外陣土壁に描かれた12面の壁画・外陣小壁に描かれた18面の壁画・内陣小壁に描かれた20面の壁画で、1949年(昭和24年)の火災により、外陣土壁の12面の壁画が焼損し、外陣小壁の18面の壁画が粉砕されました。なお金堂壁画はインド・アジャンター石窟群の壁画や敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)の壁画などとともに古代仏教絵画を代表するものとも言われています。
金堂は607年(推古天皇15年)の創建時に建立されたが、670年(天智9年)に焼失し、その後7世紀後半の飛鳥時代に再建されたと言われています。2004年(平成16年)の奈良文化財研究所による年輪年代測定により、金堂などに使われているヒノキやスギは650年代末から690年代末に伐採されたことが分かったそうです。
●法隆寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
法隆寺歴史
●法隆寺の見どころ(金堂・夢殿など)を紹介しています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)法隆寺見どころ(東院伽藍等)

【法隆寺 歴史・簡単概要】
法隆寺(ほうりゅうじ)・斑鳩寺(いかるがでら)は第31代・用明天皇が自らの病気平癒を祈願する為に発願したが、実現しないまま崩御し、607年(推古天皇15年)第33代・推古天皇と用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)が用明天皇の遺志を継いで創建し、本尊・薬師如来を安置したのが起源と言われています。670年(天智9年)に焼失したが、その後再建され、693年(持統7年)には仁王会が行われたとも言われています。739年(天平11年)行信僧都が聖徳太子を偲び、斑鳩宮(いかるがのみや)の旧地に夢殿を建立した言われています。その後慶長年間に関白・豊臣秀吉の子・秀頼、江戸時代には江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍の修造を行いました。なお法隆寺は1993年(平成5年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(法隆寺地域の仏教建造物)のひとつに登録されました。
法隆寺は聖徳宗の総本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【法隆寺金堂壁画焼損自粛法要 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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